日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

諸教会の使者

タイトル :「諸教会の使者」   
聖書   : Ⅱコリント8:16-24  
年月日  : 2015-6-21
特記事項 :

 8章から、エルサレム教会への献金のことが語られています。エルサレム教会はユダヤ教からキリスト教に改宗したユダヤ人が集っていた教会ですが、ユダヤ人の土地で伝道し、信仰を守っていたエルサレム教会には迫害、貧困など多くの苦難がありました。そこでパウロは諸教会に呼びかけて、エルサレム教会を支えるため、献金をつのりました。コリント教会もエルサレム教会への献金に賛同して活動していたのですが、パウロに不信感を抱いたことで、献金活動はストップしてしまいました。「献金をパウロがネコババしている」という噂を、うのみにしてしまったためです。
 幸い誤解は解けて、献金活動が再開します。そしてコリント教会が集めた献金を受け取り、エルサレム教会に届ける使者たちが決まりました。1人はテトスです。
 テトスは、パウロとコリント教会の信頼関係がこじれていた時に仲立ちをして、関係回復を果たした人物で、パウロの良き理解者であり、良き同労者でもあります。コリント教会に宛てた手紙の中で、パウロはテトスに関して神様に感謝しています、まずパウロがコリント教会に抱いている愛と熱意を、神様が同じようにテトスにも授けてくださったからです。次にますます熱心に、自ら進んでコリント教会に赴くよう、神様がテトスを導いてくださったからです。(16-17節)
 コリント教会に出かける使者は、テトスを含む3人です。2人目は、福音を語ることにおいて諸教会の評判が高く、今回の献金のための同伴者として諸教会が任命した人物です。3人目は、コリント教会に厚い信頼を寄せている熱心な信仰者です。この2人はエルサレム献金に賛同している諸教会の中から任命され、送り出された人たちでしょう。自分達の教会から人を送り出すことで、『エルサレム献金』と言う「神様の愛の業」に、諸教会が積極的に関わろうとしていることが分かります。
 20節以下を見ると、パウロがエルサレム献金に奉仕することについて、誰からも非難されないように、細心の配慮を払っていることが分かります。そして「主の前だけでなく、人の前でも、公明正大にふるまうように心がけています」と言っていることについては、私達も充分、耳を傾けておきたいと思います。
 「信仰に関することは、神様だけが分かってくださるからいいんだ」。これは真実です。人に誤解され、理解されなくても、全く気づいてもらえなくても、信仰者の生涯のすべて、人の目には隠されている部分もすべて、神様は知っておられるので、私達はある意味、世間の目を気にしないで神様の御心のままに従う信仰生活を貫くことが出来ます。その一方で、自分は神様のためと思って行っている信仰の業が、他者のつまずきになることもあると言うことも、私達は忘れてはならないでしょう。特にお金に関しては充分、配慮する必要があります。「神様がご存知だから、大雑把でも構わない」:とは、いかないのです。
 寺や神社で毎月、会計報告がされているという話を聞いたことがありませんが、御殿場教会では教会ニュースで毎月、会計報告がされています。牧師の収入も会社勤めの人と同じように、きちんと源泉徴収がされています。「教会のお金のことは、神様と長老会だけが分かっていれば良い」と言うのではなくて、教会員はもちろん、誰が見ても、教会会計の公正さが分かるようにしています。このことも教会会計が人をつまずかせて、信仰のつまずきとならないようにするためです。
 自費伝道をしていたパウロでさえ、「エルサレム献金をネコババしている」という噂に悩まされました。だからこそパウロは、エルサレム献金を集めるに際しても、誰からも非難されないように、神様の前だけでなく、人の前でも徹底的に公明正大にふるまうことを心がけ、どんな時でも疑われないよう細心の注意をはらいます。献金を集めて、エルサレム教会に届けるための使者を、テトスだけでなく、諸教会から送り出してもらったことも、パウロの配慮が見て取れます。パウロは教会を愛し、キリストを愛するために、すべてをささげて仕える信仰者です。しかし彼の熱い信仰が、一人よがりになるのではなく、周りの人たちを配慮するための視野を神様は、広げてくださっています。このことは、100人に1人しか信仰者がいない日本での伝道において、欠かすことのできないことだと言えます。
 テトス以外の使者については、名前が記されていません。しかしテトスを含めた3人は、「諸教会の使者であり、キリストの栄光となっています」(23節)とパウロは言い切って、彼らを推薦し、保証しています。
 つまりこの3人は、パウロが個人的に選んだ人たちではなくて、諸教会から信頼され、任命され、諸教会の代表として遣わされた「諸教会の使者」です。
 しかもパウロが抱いている熱い信仰の思いを、3人も同じように抱いています。だからこの3人は、ただの献金を集めて届けるだけの使者ではなくて、パウロと同じように「キリストの栄光を映し出して働くことができる諸教会の使者だ」と言うことです。
 3人の諸教会の使者がコリント教会に、これから向かうわけですから、「パウロをはじめとする諸教会の、エルサレム教会とキリストへの愛に背を向けることなく、コリント教会も献金を通して、具体的に愛の証をして欲しい。またコリント教会にパウロが抱いている誇りと信頼を空振りにさせないで、諸教会の使者の前で見せて欲しい」と、パウロは24節で、心からの祈りと共に、コリント教会に語っています。
 コリント教会はエルサレム教会より、豊かな教会だったであろうと思われます。しかしコリント教会の人々の豊かさは、神様からいただいた豊かさであり、元々は神様の豊かさです。1度も見たこともないエルサレム教会であっても、いただいた豊かさを、神様のためにお献げすることで、「すべてが神様のものであり、神様の愛と養いに信頼して生きていること」をコリント教会は証して、神様の愛に具体的に応答することができます。
 「神様の愛に自由に具体的に応答する」。これも神様の恵みであって、人の中から自然に出てくるものではありません。これに目覚めると、神様の愛に応答すること、すなわち時間や労力、お金などを献気て神様に応答する時、神様の恵みによって、自分の体が突き動かされている幸い、自分自身が神様の恵みの中で生かされている幸いに気がつき、大きな喜びと感謝があふれてくるでしょう。
 「諸教会の使者」として送り出された3人の信仰者。彼らは、それぞれの教会の垣根を越えて、キリストのために共に働くよう送り出されました。それぞれの教会の垣根を越えてはいますが、彼らは、パウロの熱い思いを互いに共有しています。神様と諸教会への愛、キリストへの信仰と従順、すべての人をキリストの弟子にすることを願う熱い思いで、彼らは教会を超えて、一致しています。
 「諸教会の使者」が同じ思いに立ち、同じ目的のために働くように、私達信仰者もバラバラに働くのではない。「キリストの体」として、調和と一致が保たれるように諸教会の垣根を越えて、信仰者が互いに補い合い、労苦を共にしていきます。
 先程、礼拝の中で執事任職式が行われました。全国連合長老会の新しい式文には、全国連合長老会内の教会なら、長老執事の職は共通であると、明記されています。このことは重要で、御殿場教会の長老執事は、全国93ある連合長老会の諸教会の長老執事としても祈り、仕えることを意味します。そしてもっと大胆に言うなら、牧師も長老も執事も一般信徒も、自分の教会のためだけに働くのではなくて、キリストの体の部分として、キリストの体全体(諸教会)に仕えて働く者なんおです。
 パウロは、エルサレム教会と言うユダヤ人の教会の支援を、コリント教会など、ユダヤ人以外の諸教会に広く呼びかけました。お互いが同じキリストの体の中に、共にあることを、献金と言う具体的な奉仕を通して実感して欲しかったからです。
  「1つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、1つの部分が尊ばれれば、
  すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また一人一人はその部分です。」(Ⅰコリント12;26-27)
 御殿場教会は小さく、豊かではありません。だから御殿場教会のために、聖霊の助けを求めてもっと熱く祈り、真摯に教会に仕えていくことが求められています。そしてそれと同じ熱心さで、労苦している諸教会のため、聖霊の助けを求めて祈り、支えることを、教会の頭であるキリストが求めておられます。私達はどこにいてもキリストのものです。だから「諸教会の使者」の後に、私達も続いていくのです。

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