日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

説教

説教

タイトル :「地には平和
聖書   : エゼキエル13章10節, ルカ2章8-20節
年月日  : 2018-12-23
特記事項 : クリスマス礼拝
最初にお読みしたエゼキエル書は、今から約2500年ほど前に書かれたものです。
神様の言葉をお預(あず)かりして、人々に告げる使命を与えられた預言者(よげんしゃ)エゼキエルが、
人々に向かって叫んでいました。「平和が無いのに彼らが平和だと言って、私の民を
惑(まど)わすのは、壁を築く時に、漆喰(しっくい)を上塗(うわぬ)りするようなものだ」。人々に「平和、平和」
と宣伝(せんでん)していたのは、世間(せけん)を欺(あざむ)く占い師やニセ預言者たちでした。彼らは、平和と
言う言葉をばらまくことで、世間を落ち着かせて、危機から目をそらせておこうと
していました。でも神様は世間の目を覚まさせるため「宣伝されている平和は真実
ではない。平和どころか、危機(きき)が迫(せま)っている」とエゼキエルを通して、告げさせて
います。壁に漆喰の上塗りをしても激しい雨風に打たれたら、もろく剥(は)がれ落ちる
ように、「平和、平和」と宣伝されて安心していたら、いつか泣くことになると言う
ことです。事実、この後、イスラエルの国はバビロニアによって滅ぼされ、多くの
民が殺され、残った民は奴隷(どれい)となり、バビロン捕囚(ほしゅう)として連行(れんこう)されて行きます。
 これは大昔の話ではなく、今も政府などが「景気(けいき)が良い。日本は平和で、安全で
働き口も多い。万事(ばんじ)うまく行っている」と宣伝しているのと良く似ています。でも
実際は、権力者に忖度(そんたく)して、不都合(ふつごう)なことは隠されてきました。闇(やみ)に葬(ほうむ)られてきた
パワハラや過労死(かろうし)、虐待(ぎゃくたい)、イジメもあります。
国外でも、バビロン捕囚で、イスラエルの民が奴隷として連れ去られたように、
今年のノーベル平和賞を受賞したのは、紛争(ふんそう)によって幼い子供までが連れ去られて、
性(せい)奴隷(どれい)とされ傷ついた人たちを治療(ちりょう)してきた医者と、また自(みずか)ら被害者(ひがいしゃ)でありながら、
自分の体験を証言して人権保護活動をしてきた若い女性の2人でした。このような
報道にふれるにつけ、「平和が無い」現実を目の前に突きつけられます。
戦後の日本も、また今も戦火(せんか)を逃(のが)れ、難民(なんみん)となって世界中で生き延びようとする
人たちも、偽物の平和ではなく、「本物の平和」を切実に求めているはずです。
 二つ目に読んだ聖書箇所には、イスラエルの荒野で羊たちを見守る羊飼(ひつじか)いたちが
登場します。当時の社会で、彼らの地位は高くなかった、いや低かった。羊と共に
移動する生活なので、ユダヤ教の規則通りには生活できなかったからです。けれど
救い主の誕生を、真っ先に告げられたのはユダヤの王でも、ユダヤ教の指導者たち
でもなく、その日暮(ぐ)らしの羊飼いたちでした。夜通し仕事をしていた羊飼いの前に
光り輝く天使が現われ、今日、救い主が生まれたこと。飼い葉桶の中で寝て
いる乳飲み子が主メシアであることを羊飼いたちに告げました。その時です。
天使に天の大軍が突然、加わって、神様をほめたたえて讃美しながら言いました。
 「いと高きところには栄光、神にあれ。
地には平和、御心にかなう人にあれ」。
あたり一面が聖なる光に包まれ、神様に仕える天の軍勢が歌っています。大地が
揺れ動くほどの、そして神々(こうごう)しい大合唱だったでしょう。
 天使たちが去ってから、羊飼いたちは、天使に告げられたことを見て来ようと、
出かけて行って、乳飲み子を探し当てました。天使のお告げの通りでした。天使が
告げた言葉を、羊飼いたちはマリアとヨセフにも伝えています。イスラエルの民が
長く待ち続けた救い主メシアが本当に誕生した。天使の言葉を聞いて、乳飲み子の
救い主メシアの姿を、この目で見ることができた。喜びにあふれて、羊飼いたちは
神様をあがめ、讃美しながら、荒野に戻っていきました。
 天使と天の軍勢が大合唱で歌った言葉は「いと高き所には栄光、神にあれ。地に
は平和、御心にかなう人にあれ」でした。気高い尊さを放つ栄光は神様のものです。
どんなに努力しても、背伸びしても、人間のものにはなりません。長い間、人間が
「自分のものだ」と勘違(かんちが)いしてきた栄光を、本来あるべき所、神様にお返し
する時が来ました。それに伴い、地上に神様の平和が現われていきます。偽物(にせもの)
ではない、気休めではない、本物の平和です。本物の平和、神様の平和は、御心に
かなう人々を通して、地上に現われていきます。そして神様の平和の「中心、源、
土台」となるのが、天使が告げた救い主、メシア(キリスト)である、イエス
様です。
 「地には平和」と天の大軍は歌いました。メシア(キリスト)であるイエス様か
ら、この地上にウソや、ハッタリではない、本物の平和、「神様の平和」が
現われて広がって行きます。
 平和と言うと、国や社会において、人と人の間に「平和がない」とまず思います。
でも本当にそうでしょうか。憎しみや敵意、怒りが抑(おさ)えきれず、平和がなくなる。
それは私達の中に、自分自身の中に「平和がない」からではないでしょうか。
家庭で、学校で、職場で、社会で、私達はいつの間にか、自動的に、素早く自分と
他人とを比べています。そして相手が優れていると、無意識の内に自分を責めたり、
落ち込んだり、その挙句、相手を妬(ねた)んだり、憎んだりします。反対に相手が劣って
いれば、奢(おご)り高ぶり、自慢したり、あるいは相手を見くだして軽蔑(けいべつ)し、苛立(いらだ)ったり、
怒ったり、嫌ったり、無視したりします。
平和がないのは、自分の外に原因があると私達は思っていますが、実は「平和が
なくなる」最初の入口、始まり、出発点は、「私達の心」です。「平和がなく
なる」のは「私達の心に平和がない」からです。「自分の心に平和がない」
から、どこに行っても平和がないのです。「自分の心が平和じゃない」から、
どこに行っても、私達は平和に生きられないのです。
私達の心はいつも波立っています。ささいな日常生活の出来事にも、すぐに心が
波立ち、それが嵐になり、自分でも手がつけられないほどの暴風雨になってしまい
ます。自分の力では、自分の心の嵐をしずめることができません。だから心の嵐(あらし)の
矛先(ほこさき)は、いつも相手(あいて)に向けられます。それは自分の子供かもしれない。親、兄妹、
友人、たった今、すれ違った赤の他人かもしれない。自分に地位や権力があれば、
心の嵐の矛先(ほこさき)は、会社の部下や、他の会社、他の国に向(む)けられます。
その結果、最初に話したような虐待、パワハラ、イジメ以外にも、汚職や無差別
テロ、戦争など、悲しい出来事、卑怯(ひきょう)な出来事(できごと)、みにくい出来事、残酷(ざんこく)な出来事が
身の周りだけでなく、世界各地で起きていきます。そしてこれらの最初の始まりが
すべて「自分の心に平和がない」ことです。
 なぜ自分の心には平和がないのか。旧約聖書イザヤ書は「神に逆らう者に平和は
ない」(イザヤ57:21)と言っています。「平和と神と何の関係があるんだ」と一般の
方々は思われるかもしれません。でも聖書が証言する神様は、人も世界もすべてを
造られたお方です。そして神様は愛です。愛によってすべてを支えるお方です。
その神様を無視して拒むことは、神様の愛を無視して拒むことです。でも私達は皆、
キリスト者であるなしにかかわらず、神様に愛されて、神様に認められています。
そのことを地上に具体的に現わすために、神様の御子イエス様が誕生されました。
粗末な飼い葉桶の中にいる幼子は私達の心におられる神様の愛、イエス様です。
イエス様は、すでに私達の心の中に、誕生してくださっていました。そして
神様の愛で、どんな時でも私達は愛され、認められて、受け入れられていた
のです。この神様の平和が、ずっと前から、私達の心の中に誕生していたの
です。これが、天使が告げた「あなたがたへのしるし」「地上で生きる、すべて
の人に与えられている平和のしるし」なのです。そのしるしに多くの人が気づい
ていない。羊飼いのように、しるしを見て喜ぼうとしない。キリスト者であっても
喜ぼうとしていない。
 私達の中に誕生してくださったイエス様は、平和を破壊する憎しみ、怒り、妬み、
おごり高ぶりなど、神様の愛とは真逆の心の毒(これを聖書は罪と言っています)を
すべてご自分の体に引き受けて、十字架の死と共に滅ぼしてくださったお方です。
そして神様の愛と平和の勝利を、惜しみなく、私達に与えてくださるお方です。
 ご自分の体に、手を当ててみてください。そこにイエス様が誕生しておられて、
「あなたは神様に愛されている。神様に認められ、受け入れられ、大切にさ
れている。私があなたの中に誕生していたから、神様の愛と平和が、昔から
あなたの中にちゃんとあった。今こそ、このことに気づきなさい。羊飼いの
ように、心の目で神様の愛と平和のしるしを見なさい。そして私を信じなさ
い。どんな時でも、自分の中に、神様の愛と平和があることを信じなさい。
そして自分自身と平和になりなさい。何よりもまず自分自身と平和に生きな
さい」とイエス様が、私達に語りかけておられます。 
地には平和」と天使が讃美したように、地上の平和の出発点として私達の中に
「愛と平和の救い主イエス様」が誕生しておられたこと、この尊いしるしを大いに
喜び、感謝して、心から神様を讃美しましょう。

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