日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

説教

説教

タイトル :「彼らを守ってください」 
聖書   : ヨハネ1:1-19
年月日  : 2019-5-5
18章でイエス様は逮捕(たいほ)され、不当(ふとう)な裁判(さいばん)で裁(さば)かれ、十字架につけられます。その直前の17章は、イエス様の祈りです。十字架の死を前にした祈りと言うと、私達は
ゲッセマネでのイエス様の祈り(「十字架の苦しみを勘弁してください。だけど私の思いではなく、神様の御心が実現しますように」と祈り続けた)を思い出しますが、ヨハネ福音書には、それがありません。イエス様が1人で神様に向(む)かって、必死(ひっし)で祈る状況(じょうきょう)は同じですが、ヨハネ福音書の17章では、天を仰(あお)いで神様に祈る祈りの内容が違(ちが)っています。神様から託(たく)されていたイエス様の地上での使命(しめい)は、すべての人の罪(つみ)の赦(ゆる)しのため、十字架の上でご自分の命(いのち)を献(ささ)げ尽(つ)くすことでした。人の目には、弱々(よわよわ)しく、惨(みじ)めな敗北(はいぼく)にしか見えないイエス様の十字架の死。でもこの時こそ、イエス様を通して、神様の偉大さが地上(ちじょう)に現(あら)われる「栄光(えいこう)の時(とき)」なのです。この「栄光の時」に備(そな)えて、これまでイエス様は弟子達に語り、教えてきました。イエス様が地上から去っても
弟子達が落胆(らくたん)しないよう、彼らの信仰が失(うしな)われないようにと、彼らに聖霊(せいれい)を送(おく)り、イエス様の教えをしっかり悟(さと)らせてくださると言う約束(やくそく)までしてくださいました。イエス様は弟子達を、こよなく愛していたからです。
御子であるイエス様は、父なる神様と等(ひと)しい権能(けんのう)を授(さず)かっていました(5:26)。その1つが「永遠(えいえん)の命(いのち)を与(あた)える権能」です。イエス様は、永遠の命を誰に与えるのか。3節で言う通り、唯一(ゆいいつ)の真(まこと)の神様を知り、神様の御子イエス様を知る者に、イエス様は、永遠の命を与えてくださいます。
「知る」と言っても、知識(ちしき)として知るのではありません。履歴書(りれきしょ)だけ読(よ)んでも、人柄(ひとがら)は分(わ)かりません。実際(じっさい)に語(かた)り合い、人格的(じんかくてき)な交(まじ)わりを持たないと、相手(あいて)を知ることはできません。同じように愛(あい)と信頼(しんらい)の交わり、人格的な交わりに招(まね)かれることで、人は父なる神様と御子イエス様を深(ふか)く知るようになり、やがて神様とイエス様を愛して信じ、受け入れる信仰者とされて、永遠の命が与(あた)えられます。不思議(ふしぎ)ですが神様とイエス様を愛して信じる時、その人に永遠の命が与えられます。イエス様が死から復活した時と同じ「死より強い復活の命、永遠の命」が、自分は何も頑張(がんば)っていなくても、点滴(てんてき)のように、神様とイエス様を愛して信じる人の中にドクドクと入って来るのです。 弟子達もそうですが、私達も永遠の命のことも何も知らないで、イエス様の所、イエス様がおられる教会に、駆(か)けこんできました。私達は今、教会にいますでもこれは偶然(ぐうぜん)ではありません。神様は初(はじ)めから弟子達、私達を「神様のもの」として、選(えら)んでおられたのです。神様が私達に目を留(と)めて、私達を選んでくださったから、私達は今ここにいます。これは本当のことです。そして私達は「神様のもの」また「イエス様のもの」です。すなわち「私達は神様から選ばれ、神様に属(ぞく)して、神様と結(むす)ばれており」、「イエス様とも結ばれています」。復活のイエス様と結ばれているから、私達は「死よりも強い永遠の命を、受けとりに来なさい」と昔からずっと神様から呼(よ)ばれていたのです。「自分なんか何のとりえもないダメな人間」と思い込んでいる人もいるでしょう。でも、そういうあなたが、ここに来ることを、神様はずっと待(ま)っておられました。そして神様はあなたに「イエス様を信てイエス様を愛する命の絆(きずな)」を与(あた)えてくださいます。命の絆は、永遠の命とつながっているから、あなたを永遠の命に結び合わせます。この命の絆は2000年以上もの間、イエス様のすべての弟子達に与えられてきた尊(とうと)い宝(たから)です。だから十字架で死ぬ前に、イエス様は、「弟子達から、この尊い宝が失(うしな)われないよう彼らを守ってください」と必死で神様に祈っていたのです。イエス様は十字架で死んだ後(のち)、3日目に復活し、神様がおられる天に帰られます。
でも弟子達はまだ地上(ちじょう)に残(のこ)って生きていかなくてはならない。このヨハネ福音書が書かれた当時(とうじ)、信仰者はローマ帝国(ていこく)からだけでなく、ユダヤ教徒(きょうと)などからも激(はげ)しい迫害(はくがい)を受けて、多くの信仰者が殉教(じゅんきょう)の死をとげました。11節「私は、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、私はみもとに参(まい)ります。聖なる父よ、私に与えてくさった御名(みな)によって、彼らを守ってください。私達のように、彼らも1つとなるためです」。教会や信仰者への激しい迫害に耐(た)え切(き)れずに、教会から離(はな)れ、イエス様を信じて愛する命の絆も捨(す)ててしまう人たちが多く出ました。だからイエス様は、ご自分が神様と1つになっているように、すべての信仰者がイエス様と1つになり。そして
命の絆とも1つになっているようにと、神様に祈り続けてくださるのです。14節「私は彼らに御言(みことば)を伝(つた)えましたが、世は彼らを憎(にく)みました。私が世(よ)に属(ぞく)していないように、彼らも世に属していないからです。私がお願(ねが)いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです」。イエス様がおられるところ、教会では神様の言葉、御言が語られ、また聞かれてきました。神様の言葉は愛です。どこまでも愛しぬく力ある生きた言葉です。でも神様の愛の言葉を、世は拒絶(きょぜつ)します。世は自分の利益(りえき)しか求(もと)めないからです。神様の愛の言葉を聞いて信じ、受け入(い)れる人たちは、神様に属しているのであって、世に属していません。だから世からは憎(にく)まれます。皮肉(ひにく)なことですが、世にあって御言に聞き従い、イエス様のように、すべての人の前にへりくだり、愛することに専念(せんねん)する人たちを、世は憎み攻撃(こうげき)します。自分と同じように「世に属する」ことをせず、「神様に属して、イエス様を信じて愛することを止(や)めない人たち。イエス様に倣(なら)って、労苦(ろうく)を惜(お)しまず愛する人たち」を、世は妬(ねた)むからです。「妬み」はサタンが使う得意(とくい)技(わざ)です。イエス様を殺(ころ)そうとしたのも、ユダヤ人たちの妬みのためでした。サタンは人を思い上がらせて、自分より優(すぐ)れた人を妬ませ、憎み、攻撃させます。こうしてサタンは妬みを利用(りよう)して、人を神様から引(ひ)き離し、悪人(あくにん)へと仕上(しあ)げます。 昔も今も、世にはサタンに操(あやつ)られた悪人がウヨウヨいますが、その中でも御言に聴(き)き従って生きる人たちがいます。世あってもイエス様を愛して信じる命の絆を手(て)離(ばな)さない人たちがいます。だからイエス様は「彼らを、世から取り去るのではなく、悪人から守ってください」と命を込(こ)めて、神様のとりなしを求めて祈るのです。「地上で生きる信仰者が、世の悪に苦しめられても、悪に負(ま)けず、御言に留(とど)まり、信仰を持ち続(つづ)けて、永遠の命を受け取ることができるように、彼らの信仰を守ってください」と願(ねが)う祈りは、天に帰っても変わることのないイエス様の祈りであり、また時代(じだい)を越(こ)えた、すべての教会の祈りでもあります。17節「真理(しんり)によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言は真理です」。世の言葉は次々(つぎつぎ)と生まれては消(き)えて行きますが、神様の言葉は永遠の真理であり、失(うしな)われません。「真理の御言によって彼らを聖なる者としてください」とイエス様は祈っています。そして17節の「聖なる者にしてください」と、19節の「ささげます」、「ささげられた者となる」の元(もと)の言葉は同じです。「聖なる者にする」とは、「神様のものにする」ということであり、そこから「神様にささげる」という意味(いみ)にもなります。弟子達、私達が「聖なる者となるように」と祈り願うイエス様は、弟子達、私達を世間(せけん)から遠(とお)ざけ、山奥(やまおく)にこもらせて「神様のことだけ思って生きなさい」というのではなくて、むしろ逆(ぎゃく)に神様を全く無視している世に送(おく)り出し、世に遣(つか)わします。
イエス様もそうです。イエス様こそ神様の御子であり、真の聖なるお方です。でもその聖なるお方が、人の姿で汚れた世に遣わされ、最初の寝床は動物臭い飼い葉桶でした。世の只中で生活して、最後はすべての人の罪を背負(せお)い切って十字架で死に、ご自分のすべてをささげることで、神様の御心(みこころ)に聴(き)き従い、より一層(いっそう)「聖なる者、神様のもの」とされて、この世にありがらも「御心と完全に重なり」「神様と完全(かんぜん)に1つ」になられました。このイエス様を、「神様と1つにされたイエス様」と言う「聖なる献(ささ)げ物(もの)」を、この世で生きる私達は受け取っています。私達の中には、「イエス様と言う
聖なる献げ物」、「最強で最善の献げ物」があります。
 イエス様は弟子達、私達のために「彼らを守ってください」と神様に祈りました。「聖なる者、神様のものとして守られる」とは、サタンが喜ぶ、この世の只中(ただなか)で生きていく私達が、イエス様のように御心に聴き従って、神様に仕(つか)えつつ、神様と1つにされることです。完全な愛であり、永遠の命である神様と、私達が1つにされて行くことです。2000年間、教会につながってきた代々(よよ)の弟子達は、この世の只中で神様に仕(つか)えて、イエス様の祈りに支えられて、「聖な者、永遠の命を受け取る者」として守られて
きました。そしてこれからも、この世で生きる私達のために、イエス様が祈り続け、
神様が守ってくださいます。私達の中には「聖なる献げ物であるイエス様」が
いてくださることを忘れないように、雄々しくこの世を行きぬきましょう!

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