日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

私達は落胆しない

説教

タイトル :「私達は落胆しない
聖書   : 第2コリント4:16-18
年月日  : 2014-10-5
私達は落胆しない」とパウロは言っています。同じ言葉が1節にもありました。
「落胆する」とは「疲れてイヤになる、気落ちする」と言う意味です。「落胆しない」
と言う言葉がくり返されていることから、逆に「苦労続きで、疲れ切ってイヤになる
こと。ガックリ落胆すること」が、たくさんあったと言うことが、想像できます。
パウロを始めとするキリスト者は各地で伝道していましたが、迫害に次ぐ迫害で、
困難の連続でした。実際、伝道の途中で、多くの仲間が殉教の死を遂げています。
それにもかかわらず、パウロが4章で「私達は落胆しない」とくり返しているのは、
単なるカラ元気ではありません。決して「落胆しない」確かな根拠がありました。
 4章でパウロは自分達を「土の器」と言っていました。素焼きの粗末な器であり、
もろく壊れやすい、価値のない器です。でもそんな土の器の中に並外れた力をもつ
神様の宝が入っていました。神様の御子、主イエス・キリストです。十字架の死から
復活したキリストを、神様は、土の器であるパウロ達の中に入れてくださいました。
 「自分の中に、復活のキリストが共にいてくださる」。このことを確信するから、
パウロは14節で「主イエスを復活させた神が、イエスと共に、私達をも復活させ、
あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、私達は知っています」とコリント
教会にも言っています。要するに「私達の中に復活のキリストがいてくださるから、
これから先、何が起きても、神様は、キリストを復活させたように、私達のことも
復活させてくださる。さらに、今は問題の多いコリント教会だけど、コリント教会
の人々も復活させて、私達と一緒に終わりの日に、神様の御前に立たせてくださる
と、私達は心から信じている」と言うことです。
だからコリント教会のことで今は、散々苦労はしてるけど、パウロは疲れきって、
コリント教会を見捨てることはしない。伝道に嫌気がさして、途中で投げ出したりしない。「キリストの救いを拒んで、コリント教会が滅びようがどうでもいい」と、
パウロは落胆して、嘆いたりしない。でも正確に言うと、パウロがコリント教会を
あきらめないからではない。パウロの中にいるキリストご自身がコリント教会
の悔い改めと、正しい信仰への立ち帰りをあきらめないからです。パウロの
中にいるキリストが、コリント教会に落胆しないで、コリント教会を愛して
いるからです。キリストの愛は落胆しません。キリストは落胆しません。
このキリストが、パウロたちの中にいます。このキリストが、キリストを
信じるすべての信仰者の中にいます。キリストと信仰者は、1つに結ばれて
います。これが、どれほどすごいことか、私達は気づいていないし、無頓着です。
粗末な土の器・私達は、神様から、どれほどすばらしい宝をいただいているのか、
その価値が全く分かっていません。
私達は誰でも皆、年を重ねるうちに、弱くなって、衰えていきます。ついに何も
出来なくなります。世間から見たら、割れて使い物にならなくなった土の器です。
「使い物にならない」と世間は言います。それでも、そんな私達の中にいるのは、
「神様の御心と1つになり、罪ある私達を愛して救うため、十字架でご自分の命も
惜しまず献げて、死の中から復活されたキリスト」です。確かに目に見える私達の
「外なる人」は日々衰えて行き、やがて朽ち果てていきます。これは造られた者の
限界であり、神様の摂理です。しかし日々、衰えていく「外なる人」であっても、
キリストと言う神様の宝が入っている土の器は衰えて、終わりにはならない。
弱い「外なる人」とは全く別に、復活のキリストと1つに結ばれた「内なる
人」が、目に見えない隠れた所で、日々、新たに成長し続けているからです。
妊婦のお腹に胎児がいるように、私達信仰者の中には、復活のキリストと
固く結ばれた「神様の子供である私」「新しい私」「内なる私」「内なる人」
がいます。
私達の中にいる「復活のキリストと結ばれた内なる人」が、私達の中で生きてお
り、脱皮しながら日々新しくなっていきます。この「内なる人」は「神様の御心を
行うように」と私達を内側から支え、突き動かして、復活のキリストの力と栄光と
共に、日々成長しながら、私達の体の隅々に、無意識の奥底まで深くまで広がって
行きます。
「外なる人」が衰え、無力で、全く無価値に見えても、でもその中には誰も否定
することが出来ない「復活のキリストの力と、神様の永遠の栄光」があります。
「外なる人」が侮辱され、残酷に扱われ、たとえ殺されたとしても、その中には、
人の力では決して滅ぼせないし、殺すことができない、尊い「内なる人」「新しい私」
「復活の約束を受けた神様の子供である私」がキリストに守られ、息づいています。
誰も「内なる人」を殺せない。殺されても「内なる人」は尚、生き続けます。
 「だから、私達は落胆しません」とパウロは言えたのです。彼らの生活は迫害の
連続でした。でもパウロは自分の中に宿る「内なる人」が、復活のキリストの命と
神様の栄光につながっていることを、知っていました。自分の中に「永遠がある
こと、神様が共にいてくださること」を知っていました。パウロたちの中には、
決して取り消されることのない「神様から受けた、永遠の命の希望」がありました。
永遠の命の希望は、彼らを強くし、日々の耐えがたい苦難を「一時の軽い艱難」
と言われました。更に「今の苦難は、終わりの日に神様から与えられる永遠の命の
栄光に比べたら、取るに足らない」と確信を持って宣言して、何が起きようとも、
落胆しないで、彼らは生涯、キリストを宣べ伝えることに専念して行きました。
 18節「私達は見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。
見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」。
 目に見える地上での時間は限られているので、多くの人は、精一杯、自分の目を
楽しませることに励みます。しかし私達が見ているこの世界、この歴史の地下には
私達の目では直接、見えないけれど、火山の下のマグマのように、「神様の救い、
神様の栄光の支配」が、終わりの日の完成を目指して、たえず活発に活動し
ています。そして目に見える「外なる世界」や「外なる歴史」から奥深くに
隠されている「内なる神様の真実」「終わりの日の神様の救い」が、私達の
前にドカーンと噴き出して、現われてくる場が、礼拝なのです。 
 礼拝の中で、私達は説教を通して天におられる神様の言葉を聞き、聖餐のパンと
杯を通して、天におられるキリストの体と血を受け取ります。これは本来、ありえ
ないことです。だから私達は、形だけ礼拝をしているのではない。礼拝は、目には
見えない「終わりの日の神様の救い」を先取りして,私達に直に与えています。
礼拝する私達の中には、人の目からは隠された「終わりの日の出来事」が、
たえず流れ込んでいます。礼拝は、目には見えない「終わりの日の確かさ」
「神様の救いの確かさ」をリアルに受け取ることができる、奇跡の場です。 
礼拝に集められた私達は、目に見える一時的で、やがて朽ち果てるものではなく、
目に見えませんが、永遠に存続するお方・神様に目を注ぎます。そして目に見える
「外なる私達の世界や歴史」が、目に見える地表には出てきませんが、目に見えない
神様によって、終わりの日の救いの完成、歴史の完成に向けて確実に導かれている
ことに目覚めて、歴史の完成者である神様にますます信頼し、仕えていきます。
 私達は「終わりの日の神様の救い」にガッチリとらえられ支えられた「今と言う
時間」を生きています。私達が神様の救いをつかまえるのでない。逆です。私達が
「終わりの日の神様の救い」につかまれ、とらえれ、支えられているのです。
このことを知っているから、どんなに今が苦しくても、私達は落胆しません。
 私の友人が、先日メールをくれました。子供が幼稚園の時、家で家庭集会をして
信仰に導かれた方ですが、地方に転居されました。ご主人に教会に行くことを反対
され、神様の時が与えられるのを祈っていたのですが、ご主人が定年退職した今年、
自分から「毎週、礼拝に生かせて欲しい」と言って、ついに17年ぶりに礼拝生活が
復活したという喜びのメールでした。「ガンコなご主人を相手に17年間、落胆せず、
今まで、よく礼拝生活をあきらめなかったな」と、私も深く感動しました。
 神様の愛も、永遠の命も、終わりの日の神様の救いの完成も、目には見えません。
祈りも信仰も目に見えません。でも目に見えなくても神様につながるすべての
ものは、永遠に存続します。祈りも信仰も奉仕も、神様の懐に飛び込んだものは、
すべて、永遠に存続して、失われることはありません。
神様が私達を愛し、私達のために必ず最善のもの、最も善い神様の時を用意して
くださることを信じて、「落胆しないで、忍耐強く待つ信仰」。17年間、礼拝に行け
なかった彼女に、神様は「落胆しないで、忍耐強く待つ信仰」を与え、この信仰を
彼女の中で熟成させて、養っておられました。
私達は時々、神様に見離され空しく時が過ぎていくように思います。でも神様の
目が届かない時などない。時も神様が造りました。目に見えなくてもすべての時に
神様の愛と救いの導きがあります。今は見えなくても、すべての時に、神様の
意味がこめられています。私達は、目に見える「外なる世界」で生活していますが、
目に見えない神様の愛と救いに、どんな時でもガッチリつかまれ支えられています。
「だから、私達は落胆しません」。

powered by Quick Homepage Maker 4.27
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional