日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

私達は生ける神の神殿

説教

タイトル :「私達は生ける神の神殿」   
聖書   : Ⅱコリント6:11-7:1  
年月日  : 2015-3-1
 本日の箇所は、前の13節とのつながりが不自然です。13節から7章2節に続く方が自然に読めます。別の手紙がここに入り込んだのでしょう。それはともかく、本日の箇所で、パウロは重要な警告をしています。コリント教会はギリシャにありました。そのためギリシャ神話の神々や、多くの偶像が町中にあふれていました。日本もそうです。御殿場市内に多くの神々が祭られ、その行事の様子が公の広報に掲載されていても、周りの人たちは当たり前のこととして、何も言いません。
 復活されたキリストは弟子達に、行って、すべての民をご自分の弟子にするよう命じました(マタイ28:19)。そして弟子達は、ユダヤだけでなく、コリントや日本のように、多くの神々が同居する世界各地へと出かけて行きました。そこには神々を祭るために、不品行で貪欲な行いもあります。「朱に交われば赤くなる」のことわざ通り、信仰者が各地の偶像礼拝の習慣に触れている内に、それらに染まって本来の信仰を見失ってしまう危険性がありました。「自分だけは大丈夫」「軽いお付き合いだから、すぐ抜けられる」と思っていても、偶像礼拝の悪い習慣にはまって次第に本当の神様と偶像の区別がなくなり、信仰を失うケースをパウロは知っていました。
「危険ドラッグの誘惑」みたいです。軽い好奇心でも、命取りになります。だから厳しい言葉で「私はあなたがたに悪霊の仲間になって欲しくありません。主の杯と悪霊の杯の両方を飲むことは出来ないし、主の食卓と悪霊の食卓の両方につくことはできません」(Ⅰコリント10:20-21)とパウロは以前、コリント教会に言いました。
しかしコリント教会では、それ以降も同じ状況が続いていたのでしょう。そこで、14節以下で、パウロが改めてコリント教会に語っている内容を見てみましょう。
「信仰のない人々と同じクビキにつながれるな」。申命記(22:10)に「牛とロバなど異なる動物を同じクビキにつないで耕すな」と書かれています。体格も力も性格も違う動物を同じくクビキにつないでも、まともな畑仕事は出来ません。そのことを踏まえ「信仰者が信仰のない人と同じクビキにつながれて、相手にひきずられて、信仰生活から離れ、信仰を失うことがないように」とパウロは警告するのです。
 また神様の正義と偶像礼拝者が行う不法との間に、どんな関わり(共有すること)があるのか。神様の聖なる光と悪の闇との間に、どんなつながり(交わり)があるのか。キリストとベリアル(サタン)との間に、何の調和(一致)があるのか。信仰と不信仰との間に、どんな関係(共通部分)があるのか。「生ける神の神殿・聖なる神様の宮」と命のない、作り物の偶像との間に、どんな一致(共存)があるのかと、正反対のものを並べてコリント教会に問いかけています。もちろんパウロの答えは決まっています。
 「両者に一致があってたまるか。信仰者と、神様を信じない者とは根本的に異なる。生きて立つ土台が全く違う」とパウロは言いたいのです。では信仰者とは何か。
「私達は、生ける神の神殿なのです」。なぜなら信仰者はキリストの命で神様に買い取られており、もはやその体は自分自身のものではなく、神様のものであり、キリストの体の一部、聖霊が宿る神殿とされているからです(Ⅰコリント6:15,19)。
「信仰者が、生ける神様が共におられる聖なる神殿であること」を証言するため、パウロは旧約聖書の様々な箇所を引用して語っています(16-18節)。
「神様があなたがたの間に住んで、あなたがたの神様となり、あなたがたを神様の民、神様のものとしてくださる。だから神様に背を向けて生きている罪人の仲間にならないよう、彼らから遠ざかれ。罪の汚れに触れるな。罪の中に留まるな。そうすれば神様はあなたがたを受けいれ、あなたがたの父となってくださり、あなたがたは神様の息子、娘となると、全能の神様が約束しておられる。」
 分かりやすく言い換えると、こうなります。私達はこの世で生活していますが、
私達は神様に愛されている神様の家族であり、神様のものです。私達は、神様の愛から生まれた「キリストの救い・福音の恵み」を喜び、信じています。そして私達を愛して、命の救いの中に招いておられる福音の恵みを、多くの人々に告げ知らせるために、私達は「キリストの派遣社員」として召され、この世に遣わされています。
 私達はこの世の原理原則に従って生活していますが、でもそれ以前に私達は神様の御心に従う信仰者であり、生ける神様の神殿なのです。
だから日常生活の中で人々と交わりを持ちますが、この世の罪と歩調を合わせることは出来ません。罪に汚れた世間を歩き回りますが、不品行、ねたみ、憎しみ、貪欲などの罪に、喜んで加わり同調することはしません。むしろ旧約で命じられているように、罪から「遠ざかるよう」「触れないよう」心がけています。
 しかしパウロが引用した旧約の御言のように「神様を無視して生活する人々から遠ざかれ、罪人に触れるな」と言われても、私達は世間と一切、関わらず、山奥に住む仙人のような生活は出来ません。第一それでは伝道が出来ません。キリストが罪にまみれた世間の只中で生きておられたように、まだ本当の神様を知らない多くの人々の中に入って行くことなしに、伝道はできません。念を押しますが、旧約の御言は私達に「世間から孤立して、セクトを作れ」と言っているわけではない。
 そこで課題となるのが、この世で生活しながら、「どうすれば、世間の罪の誘惑に染まらずに、神様に従う信仰者として生き、そして伝道できるか」ということです。そんな私達のために、神様は、用意万端整えてくださっていました。
 教会です。教会は、地上における生けるキリストの体です。キリストは、罪の世にあっても罪を犯すことなく、神様の御心に従って生き抜いた唯一のお方です。このキリストが、教会におられます。教会は、死から復活されたキリストが、私達と共にリアルに生きて働いておられる聖なる神殿です。そして私達一人一人は、キリストに呼び集められた「聖なる神殿の各部分」なのです。この世にあっても、罪に流され、信仰を失わないよう、神様はこの世に「キリストの体・教会」を与え、私達をその一部分とすることで、弱い私達の信仰を守ってくださるのです。 
 規模の大小にかかわらず、教会には、天と地の一切の権能を授かっている(マタイ28:18)キリストが、聖霊によって臨在しておられます。このキリストが臨在して、聖なる権能をもって働いている教会・神殿は、「地上における神様の聖域」です。教会・神殿は、神様のご支配が生きている「地上における聖域」です。
 毎週の礼拝で、教会と言う生ける神様の神殿、「地上における神様の聖域」の中に呼び集められることで、私達はこの世にあっても、罪に流されず、信仰が守られ、キリストの豊かさに至るまで成長させていただけます。だから教会は大切なのです。聖域である教会に集い、キリストの体の一部分となって生きることが大切なのです。 先週、神山教会で教会員のTさんが療養所の職員の方に支えられ、礼拝に来られました。目も耳も不自由なお体で、寒いし雨も降っていました。礼拝に来られない理由は山ほどある。それでも礼拝に来られました。キリストがおられるその場が、神様の神殿・神様の聖域であり、その一部として自分が招かれている幸いをTさんは理屈ではなく、信仰によって肌で体験し、確信しておられるのだと、思いました。
 7:1でパウロは、神様が信仰者に、豊かな恵みの約束を与えておられるのだから、
「肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め、完全に聖なる者となりましょう」と呼びかけています。これはコリント教会だけでなく、終わりの日まで、未完成で途上にある、すべての教会、世界中の教会への勧告でもあります。
 途上にある教会だけど、また未完成な信仰者だけど、教会に集う私達が、神様の神殿と呼ばれる「不思議と幸い」。これを思っていた時、ある御言と出会いました。
「神に従う人は、この報復を見て喜び、神に逆らう者の血で足を洗うであろう」(詩篇58:11)。敵に苦しめられていた信仰者に代わって、神様がご自分に逆らう敵に報復してくださる時、足を洗えるほど大量の敵の血が流されるのを、観客席で喜び見ているという内容です。しかし信仰者とは言え、未完成な私達は、神様に逆らう敵ではないのか。すべての人が神様に逆らい、報復されてしまう者ではないのか。その時、観客席で、神様の報復を喜んで見ていられる人など、誰1人としていない。
 だからキリストが、すべての報復を引き受けてくださったのです。十字架のキリストの血があふれて、神様に逆らう私達の足を洗っています。教会はキリストの血で床上浸水しています。その血で、集うすべての人の足を洗い清めて、罪を赦し、愛しておられます。
 では私はどうする。私も神殿の中にいる。神殿の一部にされている。それなのに自分を憎み否定していたら、神殿の中にいながら、神殿を憎み否定し、汚すことになってしまう。神様の神殿を、自分で汚すな。自分の中の汚れや呪い、自己嫌悪をいつまでも抱えていないで、全部キリストの血の中に手離して委ねろ。キリストがすべてを、完全に洗い清めてくださる。
 十字架が立つ神殿は、キリストの血だまりの中に立っています。この血に常に洗い清められているから、罪に流されることなく、「生ける神様の神殿・教会」は、この世の只中に立ち続けて行きます。

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