日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

私たちを生かす命のことば

説教

タイトル:「私たちを生かす命のことば
聖書  : ヨハネ11:17-44
年月日 : 2011-8-7
特記事項 : 夏期キャンプ合同礼拝

イエス様が親しくされていたマルタ、マリア、ラザロと言う兄弟姉妹がいました。
そのラザロが病気で死にかかっていると言う知らせを聞き、イエス様が到着した時、
ラザロは墓に葬られて、すでに4日も経っていました。イエス様にマルタは「もっと
早く来てくれたら、ラザロは死なずにすんだのに」と悔やんでいますが、それでも
ラザロの死を悲しむ自分たちを、イエス様が何とか助けてくださることを願って、
「あなたが神にお願いになることは、何でも神はかなえてくださると、私は今でも
承知しています」と言っています。そのマルタにイエス様は「あなたの兄弟は復活
する」と言われました。
イエス様はこれまでも、ご自分を信じる人たちが、終わりの日に永遠の命を得て、
復活すると、告げて来ました(6:40)。だからマルタも「そのことは知っています」と
答えています。でもこの時マルタは「将来ラザロが復活することは知っているけど、
私達は今、生きているラザロに会いたい。復活すると言葉だけで言われても私達の
悲しみは癒されない」、本当は、こう言いたかったのではないでしょうか。すると、
イエス様はマルタに問いかけて言われました。
 「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて
私を信じる者は、誰も決して死ぬことはない。このことを信じるか」。
 マルタの目の前に、イエス様がおられ、「私こそが、終わりの日の復活であり、
終わりの日に与えられる永遠の命なのだ」と告げたのです。
 いつ来るか誰も知らない終わりの日の復活。しかし復活は、将来のことであると
同時に、今マルタの目の前にいる「イエス様ご自身」のことでした。永遠の命は、
手の届かないはるか彼方の命であると同時に、今、マルタが手を伸ばせば届く所に
おられる「イエス様ご自身」のことでした。
 復活や永遠の命、終わりの日に関するすべてのことが、イエス様の中にあります。
私は復活であり、命である」とイエス様は言われました。それは、「イエス様の
おられる所にこそ、復活があり、永遠の命がある」と言うことです。
将来の復活を信じていても、今の慰めにはならないと思っていたマルタでしたが、
まさに今、彼女は「終わりの日の復活」と向き合っていたのです。まさに今、彼女は
「永遠の命」と向き合っていたのです。
「復活であり、永遠の命である私を信じ、私と結ばれた者は、死を超えて尚も
生きることを信じるか」とイエス様から問われたマルタは、「はい、主よ。あなたが
世に来られるはずの神の子、メシアであると私は信じております」と答えています。
「はい」とは、「確かにその通りです」と言うことです。
「終わりの日に世に来られる神の子・メシア、イエス様を信じ、このイエス様に
つながっているなら、私達は永遠の命にもつながっている」。そのことを「確かに
信じます」と、マルタは答えたのです。
 マルタの姉妹マリアが呼ばれて、イエス様の所に来ました。マリアはイエス様を
見るなり足元にひれ伏して、マルタと同じように、イエス様の到着が遅れたことを
悔やんで泣きだしました。それを見た周りの人たちも、同じように泣いています。
 するとイエス様は、心に憤りを覚え、興奮して、「ラザロをどこに葬ったのか」と
聞いています。「心に憤りを覚え、興奮して」とは「血が逆流するほど心底、怒りに
震える」と言うことです。でもラザロの死を悲しんで泣いているマリアや、周りの
人たちが泣いているのを見て、なぜイエス様は、これほど怒るのでしょう。
容赦なくすべての人間をなぎ倒し、飲みつくす「死の力」に対して、イエス様の
激しい怒りは向けられていたのです。津波のように襲いかかってすべてを奪い去り、
人間を苦しめて、悲しませる「死」と言う敵に向かって、イエス様は全身の血が逆流
するほど、激しい怒りに震えていたのです。
 ラザロの墓に案内されて来ました。大きな石でふさがれた墓は、あらゆる希望を
拒んでいるように見えます。その墓の前に立って、イエス様は涙を流されました。
イエス様は、マルタが告白したように神の子であり、メシアです。でも「私達と
同じ生身の体をもち、罪と死の力の前に、なす術もない無力な人間」の1人となり、
イエス様はこの世に来られました。イエス様は、この世の傍観者、見学者ではあり
ません。死に対する人間の無力さ、そのために人間が背負ってきた弱さや苦しみ、
痛み、悲しみから、イエス様は逃げ出すのではなく、その中に留まります。そして
すべてを、ご自分の全身で受け止めます。どんなに愛され、必要とされていても、
死によって、あっけなく滅ぼされてしまう人間の無力さを、イエス様は、ご自分の
痛みとして痛み、悲しんで、マリアたちと一緒に泣くのです。
 それを見て、人々は「どんなにラザロを愛しておられたことか」と言い、「盲人の
目を開けたこの人も、ラザロが死なないようには出来なかったのか」とイエス様に
落胆して、つぶやきました。しかしイエス様は、無力な人間の側に立って、一緒に
泣くだけのお方ではありません。
イエス様は再び激しい怒りを燃やして、墓をふさいでいる石を取りのけるように
命じました。マルタは驚いて「主よ、4日も経っていますから、もう臭います」と
イエス様を引きとめています。死体は腐って、臭くなっていました。
マルタは先程「復活であり、永遠の命であるイエス様を信じるなら、私達も永遠
の命につながっていることを信じます」と告白したばかりですが、体が腐っている
ラザロの死は動かしようがなく、決定的です。でも動かしようのない決定的な死を
イエス様は動かします。イエス様は天を仰ぎ、父なる神様に祈りをささげました。
 「父よ、私の願いを聞き入れてくださって感謝します。私の願いをいつも聞いて
くださることを、私は知っています。しかし私がこういうのは、周りにいる群集の
ためです。あなたが私をお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです」。
 イエス様が、神様から遣わされた神の子・メシアであり、イエス様の中に神様の
力が働いていることを、周りの群衆に信じさせるために、イエス様は墓に向かって
大声で叫びました。「ラザロ、出てきなさい」。
 なんとラザロが布でくるまれたまま、墓から出てきました。仮死状態だった人が
奇跡的に息を吹き返したのではなくて、墓に入ってすでに4日も経ち、腐って臭く
なっていた死体が、再び生きた人間となって立ち上がり、墓から出てきたのです。
朽ちかけた死体だったラザロに、再び命が与えられたのです。
 命の持ち主は神様です。命を与えるのも神様です。神様と1つであるイエス様を
通して、命が与えられました。「ラザロ、出てきなさい」と言う、イエス様の言葉を
通して、死んだラザロに命が与えられました。イエス様は神様と1つです。だから
イエス様の言葉は、死の中にさえ、命を与えることが出来る神様の言葉です。
イエス様の言葉は、命の言葉です。マルタが「臭くなっているから」と言った
ように、誰もが絶望し、あきらめられている死人でも、イエス様の口から出る命の
言葉を聞くことで、生かされて、イエス様の前に立ち上がって出てきます。
勿論、ラザロが生き返ったことは、イエス様の復活とは違います。イエス様は、
「永遠の命と朽ちない体」をもって復活されました。でもこの時ラザロに与えられた
命と体は、地上の朽ちる命と体です。生き返ったラザロも、与えられた命を生きて、
再び眠りに着いたでしょう。死から完全な復活を遂げたのは、イエス様だけです。
イエス様の後に続いて復活するには、終わりの日を待たなくてはなりません。
 教会の花壇にはダリア、ショウブ、藤、シャクヤクなど、色々な花が季節ごとに
咲いては、散って行きます。特に手入れもしていませんが、でも次の年になると、
またちゃんと花を咲かせます。土の下にしっかり根をはって生きているからです。
でも切った花は、今どんなにきれいに咲いていても、散って終わりです。
 私達は毎週の礼拝で、イエス様の言葉、命の言葉を聞きます。命の言葉を聞いて、
言葉の中に宿っている永遠の命に、しっかり根をおろします。「私は復活であり、
命である」と言われたイエス様の言葉に、しっかり根をはって、永遠の命をグン
グン吸収します。だからイエス様の言葉を聞いて、永遠の命に根をおろしている
人は、イエス様が言われた通り「死んでも生きる」のです。
たとえこの地上の命と体が朽ちても、命の言葉を聞いて、命の言葉に根をはって
いる人は、終わりの日に、イエス様と同じ「永遠の命と朽ちない体」をいただいて、
必ず復活します。天の父なる神様の隣で、それぞれが見事な復活の花を咲かせます。
 イエス様の言葉は、私達に永遠の命を与えて、生かしてくださる命の言葉です。
だから誰も切花のままで終ってはなりません。子供や愛する人、大切な人たちには、
命の言葉を聞かせたい。そして永遠の命に根をはって欲しいと、切実に願います。
また今月は敗戦記念日を控えています。多くの国々に切花のままで散って行った
人たちがいます。枯れた骨となった人たちにも、イエス様の言葉、死人をも生かす
命の言葉を届けたい。だから教会は、私達が生きるためだけでなく、切花のままで
散って行った人たちが生きるためにも、イエス様の言葉、命の言葉を語り続けます。
 「はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。
その声を聞いた者は生きる」(ヨハネ5:25)。生死を問わず、礼拝に集うすべての人が
命の言葉を聞き、永遠の命に生かされる希望が与えられるように、祈りましょう。

powered by Quick Homepage Maker 4.27
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional