日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

神様の愛

タイトル :「神様の愛」   
聖書   : Ⅰヨハネの手紙4:7-10,カテキズム問9 
年月日  : 2015-6-14
特記事項 : 子供を祝福する合同礼拝

 御殿場教会では、いつも子供の礼拝を9:30から、大人の礼拝を10:30から行っていますが、今朝は「子供を祝福する合同礼拝」として、子供と大人が一緒に聖書の言葉に聴いて礼拝を行います。特に子供たちにも分かりやすく、聖書の言葉を噛み砕いて、お伝えしたいと思います。
 お読みした聖書の最初に「互いに愛し合いましょう。愛は神か出る」と書いてありました。聖書は皆さんが最初に生まれるずっと大昔、何千年も前に書かれた、ぶ厚い本ですが、聖書全体が言っていることは、「神様はあなたをとても愛していますよ。だからあなたも神様を愛して、神様が愛しているすべての人と、互いに愛し合って生活しなさい」と言うことです。今朝も、聖書を通して、神様が「互いに愛し合いましょう」と呼びかけてくださっています。そして「互いに愛し合うための力」は神様から送られて来ます。愛する力は、神様からの贈り物、プレゼントです。
 でも神様は、どうしても私達に愛する力を送ってくださるのでしょう。それは8節の最後に書いてあるように「神は愛だからです」
 日本には、色々な神様がいますが、聖書が伝えている神様は、愛の神様です。神様はすべての人を愛しています。どんなに私たちが大失敗して、落ち込んで、ボロボロになっても、周りの人たちから知らん顔しされても、それでも神様は愛だから、私達を見捨てることなく、いつも私達と共にいて、私達を愛し続けてくださいます。私達は何度も神様に背を向けて、神様を無視しますが、でも神様は私達に背を向けないし、私達を無視しません。私達をどうしようもないくらい愛しているからです。私達がウソツキでイジワルの悪者でも、神様は私達を大切にしてくださいます。神様は愛です。涸れることのない泉のように、神様から愛があふれ出ています。そして神様からあふれ出た愛、神様の愛する力が、私達にも与えられています。
 この愛の神様を今、私たちは礼拝しています。目には見えませんが今、礼拝の中で私たちは愛の神様と一緒にいます。そして神様の愛に包まれ、神様の愛の中にいます。
 私達が神様を知る前から、神様は私達を知っており、私達を愛し続けています。私達1人1人の名前を呼んで「○○ちゃん、こっちへおいで。あなたを愛している。あなたをとても大切に思っているよ。あなたは一人ぼっちじゃないよ。私がいつも一緒にいるからね」と、昔から神様はずっと私達に声をかけてくださっていました。
 でもそのことに、私達はなかなか気がづかない。気がつかないから、神様の愛を受け取ることもできない。愛がないから「互いに愛し合いましょう」と言われても、人のことも自分のことも愛せない。仲良くできず、憎みあい、ケンカをしてしまう。神様の愛に気がつかなくて、神様が与えてくださる愛の力を受け取ることもなく、愛することができない。それは子供も、大人も、国と国の間も同じです。
 今、牧師をしている私も、ずっと気がつきませんでした。神様から愛されていることに気づいたのは、結婚して子供を産んでからです。たまたま家にあった聖書を読んで、近くの教会の礼拝に出席して、イエス様を知るようになってからです。
 子供の礼拝では、信仰の問いと答えを深めながら、聖書の言葉に聴き説教をしています。今朝の問いは、「神様の愛は、どのようにして明らかになったのですか」。答え「それは主イエス・キリストのご生涯を通してです。つまりイエス様は、私達の背きと罪の赦しのためにこの世に来られ、十字架にかかって死なれ、私達に新しい生命を与えるために、復活されたことです」。
 簡単に言うと、「人の目に見えない愛の神様は、神様のたった一人の子供であるイエス様の言葉や、行ったことのすべてに現れている」と言うことです。
 だから「神様を知りたい。神様から愛されていることに気づきたい」と思ったら、イエス様と出会い、イエス様と仲良くなることを通してイエス様のことをドンドン分かっていけば良いんです。人との関係も同じです。住所や年齢を知るだけでなく、その人がどういう人なのか知りたいと思ったら、まず仲良しになってみることです。仲良しになって、一緒に過ごしているうちに相手がどういう人か分かって来ます。
 イエス様のことは、聖書に書いてあるので、聖書を読めば、イエス様のご生涯は分かります。でも頭や知識で分かるだけでは足りません。実際、イエス様と仲良くなって、イエス様を大スキになることで、イエス様の中に隠されている神様の愛に皆さんは出会います。そして自分もまたずっと前から、神様に愛されてきたことに気がついて、神様の愛の暖かさ、優しさ、力強さを全身で、実感するはずです。
 それでは神様の子供イエス様は、何を語り、何をなさった方なのか。イエス様も神様と同じように、すべての人を愛し続けた方です。それも親切な人だから、知り合いだからと言って、愛したのではありません。いつもイエス様の周りに集まっていたのは、世間から仲間外れにされていた貧しい人、病気の人、弱い人たちでした。「この人を愛したら得をする。損をする」。そんなことは一切考えずに、イエス様は誰のことでも自由に、どこまでも愛しました。愛することで、自分が傷ついたり、自分のすべてを失うことも、全くお構いなしで、誰のことでも自由に愛しました。そして最後は、イエス様をねたむ人たちによって、イエス様は十字架につけられて、殺されてしまいます。ここまでお話しすると「愛したら殺されて、損しちゃう」と皆さんは言うでしょう。
 今月の始め、御殿場小学校の2年生が、社会見学のため先生に連れられて教会に来ました。簡単に御殿場教会の歴史や、教会で行っていることなどをお話ししました。そして一人の男の子が、会堂の正面にある十字架を見つけて、「十字架って何ですか」と質問しました。私は用意していた「十字架につけられたイエス様」を描いた絵を、子供たちに見せて、お話ししました。
 「十字架と言うのは、処刑道具です。イエス様は悪いことは何もしていませんが、イエス様を憎む人々が、十字架につけてしまいます。イエス様は十字架から逃げるチャンスが、たくさんあったのに逃げませんでした。それは神様から大切な役目を受けていたかっらです。人は大昔から言葉や暴力で人を傷つけたり、盗んだり、殺したり、ウソをついたり、数え切れないほどの罪を重ねてきました。その上、自分の罪を認めることも、謝ることもしないで、済ませてきました。これはすべての人を愛している神様には、大きな悲しみです。このままだと神様のおられる天の国に。誰も帰ってこられないからです。そこで神様はすべての人に代わってイエス様を十字架につけて「ごめんなさい」をさせます。そしてイエス様の命と引き換えに、すべての人の罪を赦してくださいました。これは神様がすべての人を心から愛しているからです。だから教会の十字架を見たら『あなたは神様から愛されている大切な人ですよ』とイエス様から言われていることを思い出してください」と、子供達に話しました。子供達は教会を出ると、屋根の上の十字架を指差して「十字架が見えた」とうれしそうに言っていました。十字架は「あなたは神様から愛されています」と言う、時代を越えた確かな印です。私達は神様を愛さなかったけれど、神様はずっと前から私達を愛しておられました。そのことを聖書も伝えています。
  「私達が神様を愛したのではなく、神が私達を愛して、私達の罪を償ういけにえ
   として、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(10節)
 十字架のイエス様から、「神様の赦し」があふれ出て、私達を包みこみます。また死から復活したイエス様からは「神様の永遠の命」があふれ出て、私達を包みます。「神様の赦し」も、「永遠の命」も、神様の愛です。神様の愛は、イエス様の中に、現れており、イエス様からあふれ出ていきます。
 そして神様はこの愛を、イエス様を通して、私達に
ただで与えてくださいます。今、イエス様から皆さんに、神様の愛が手渡されています。神様の愛で、すべての人が、互いに愛し合うことで、幸せに平和に生きて欲しいからです。イエス様からただで受けた神様の愛を、1人でも多くの人に、ただで与えていきましょう。''

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