日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

神は何でもできる

説教

タイトル :「神は何でもできる」  
聖書   : マタイ19:16-26
年月日  : 2019-12-22
特記事項 : クリスマス礼拝
   
イエス様の誕生(たんじょう)を祝(いわ)うクリスマスですが、なぜイエス様の誕生がめでたいのか。
そのことを忘(わす)れがちです。今朝(けさ)の箇所(かしょ)は、イエス様の十字架の死が刻々と近づいて
いた、そのような時です。1人の青年がイエス様に、「永遠の命を得(え)るには、どんな
善(よ)いことをすればよいのでしょうか」と尋(たず)ねました。イエス様は「なぜ善いことに
ついて私にたずねるのか。善い方はお1人である。もし命を得たいなら、掟(おきて)を守り
なさい」と、いつものイエス様らしくない、つっけんどんな応答(おうとう)をして十戒(じっかい)の中に
ある掟と、「隣人(りんじん)を自分のように愛しなさい」という、愛の掟について話しました。
すると青年は「そういうことはみな守って来ました。まだ何か欠(か)けているでしょう
か」と答えました。
 青年は小さい時から、模範的(もはんてき)な信仰者となるように教育(きょういく)されてきたのでしょう。
そのため本人も「自分は模範的信仰者として、今までやれることは全部やって来た」
という自信(じしん)があったはずです。言い換(か)えると、やるべきことは全部やってきた自分
のすばらしさをイエス様に見せつけて、イエス様に「君は立派(りっぱ)だ。間違(まちが)いなく天の
国で、神様から永遠の命をいただけるよ」と言わせたかった。でも青年が期待(きたい)して
いたような言葉を、イエス様から聞けませんでした。それどころか、今まで想像(そうぞう)も
しなかった言葉が、イエス様から返って来たのです。
 「もし完全(かんぜん)になりたいのなら、行って持ち物を売り払(はら)い、貧しい人に施(ほどこ)しなさい。
そうすれば、天に富(と)みを積(つ)むことになる。それから私に従いなさい」(21節)。
 これを聞いた青年はどうしたか。悲しみつつ、イエス様のもとを立ち去りました。
青年はたくさんの財産(ざいさん)をもっていたからだと、22節は伝えています。
 「自分の信仰は完全だ」と、誇(ほこ)りを持っていた青年ですが、イエス様の言葉から、
「自分が何を1番、求めていたのか」思い知ることになりました。「財産を手離(てばな)して
まで、永遠の命を得ることを真剣(しんけん)に求めていたわけじゃなかった。小さい時から、
掟を守って、まじめに頑張(がんば)ってきたけど、自分の信仰は完全ではなかった」ことを
青年は思い知ることになりました。彼がつらく、悲(かな)しかったのは当然(とうぜん)です。青年が
立ち去った後で、イエス様は弟子達に言っています。
「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難(むずか)しい。重(かさ)ねて言うが、金持
ちが神の国に入るよりも、ラクダが針(はり)の穴(あな)を通(とお)る方が、まだ易(やさ)しい」(22節)。
 大概の人はお金が欲しいし、金持ちになりたいと思っています。ラクダは背(せ)が高(たか)く
かなり大きな動物(どうぶつ)です。そのラクダが、小さな針(はり)の穴(あな)を通(とお)るなんて、誰(だれ)が考(かんが)えても
ムリです。けれども金持ちが神の国に入ることの方が、もっとムリだとイエス様は
言われました。弟子達が驚(おどろ)くのは当然(とうぜん)です。だから彼らは言いました。「それでは
誰が救われるのだろうか」。
 弟子達も、金持ちの青年も、人がどのように救われるのか、分かっていません。
そんな弟子たちを見つめながら、イエス様は言われました。
 「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」。
 大きなラクダが小さな針の穴を通り抜けることはムリです。ありえないことです。
金持ちでなくても、人が神の国に入ること、救われることは本来(ほんらい)、ありえないこと
なのです。自分の欲得(よくとく)、エゴと縁(えん)が切(き)れず、常に「自分ファースト」を押(お)し通して、
心から人も神様も愛することができない。それが私達です。私達だって、針の穴を
通り抜けることはムリです。神の国に自分でハシゴをかけて入ることはできない。
努力(どりょく)して頑張(がんば)ったら救われるなんて、ありえない。でもイエス様は言われました。
「人間にできることではないが、神は何でもできる」。
 救いの出来事(できごと)は、すべて神様からの贈物(おくりもの)です。神様から贈物をいただけるような
者ではないけれど、それでも私達には、神様からの贈物、救いの出来事が、いつも
起(お)きています。今、私達が生きていること。否(いな)、神様によって生かされていること。
今、教会に来ていること。仕事(しごと)のためでも、聖書の言葉、説教の言葉、神の言葉を
聞いている。それは、自分が頑張ったから、礼拝者としてここにいるわけじゃない。
神様が私達の名前を呼(よ)んでくださって、ここに来るように導(みちび)いてくださったから、
私達は今、ここにいます。すべてが神様からの贈物であって、神様からいただいて
いる救いの出来事なのです。
 神様は私達を教会に招き、礼拝の中で、救い主イエス様と出合わせてくださる。
なぜならば、イエス様は、神様が私達に用意してくださった「神の国、永遠
の命、救いに通じる唯一の道」だからです。救いに関(かん)することで、私達には
自前(じまえ)のものなんて、1つもありません。全部、神様からの贈物です。
またイエス様は金持ちの青年に、「持ち物を売り払って、貧しい人々に施し、それ
から私に従いなさい」と言われました。彼の持ち物も、また神様が貸(か)し与えてくだ
さったのですが、持ち物に執着(しゅうちゃく)して、しがみつくと、人は、自分に持ち物を貸し
与えてくださった神様を忘(わす)れます。持ち物に執着して、本当の持ち主を忘れます。
だからイエス様は「持ち物にしがみつくな」と警告(けいこく)したのです。そして「私に従い
なさい」と言われた。原文(げんぶん)は「さあ、ここに来て、私に従いなさい」。
 神様からの贈物、救いに通じる唯一の道、イエス様から「さあ、ここに来て、
私に従いなさい」と言われたのだから、「招(まね)かれているのだから」、とにかく、
イエス様についていけば良かったのです。でも青年は立ち去った。イエス様から離(はな)れ
て行ってしまった。青年の話はこの後もないので彼は戻(もど)ってこなかったのでしょう。
でもイエス様から立ち去ってしまったら、その先に何もない。イエス様から立ち
去り、イエス様を離れてしまったら、救いはありません。神の国も、永遠の
命も、愛も、希望も、信仰も、何もありません。何もないどころか、最後(さいご)に
私達を待(ま)ち構(かま)えているのは罪と死だけです。だからイエス様から立ち去って
はならないのです。
私達には元々(もともと)何もない。罪と死だけしかない。だからイエス様は「さあ、ここに
来て、私に従いなさい」と今、私達にも言ってくださるのです。「イエス様に従う」
とは、ブラック企業(きぎょう)の社長(しゃちょう)の言いなりになるのとは全(まった)く違(ちが)う。イエス様に従う
とは、イエス様と愛し合う絆(きずな)に招(まね)き入れられることです。イエス様にどこま
でも愛され、支(ささ)えられ、守(まも)られ、導かれていく信仰の絆に、固(かた)く信(しん)頼(らい)しなが
ら生きていくことです。イエス様に従うことについて、何も心配はいりません。
イエス様に従って行くために必要な力もすべて、神様が与えてくださるから
です。私達は自力ではなく、ただ神様の力によって、イエス様に従って行く
のです。
 勿論(もちろん)、この世で生活する私達には、多くの誘惑(ゆうわく)があります。私達をイエス様から
引き離し、イエス様から立ち去らせようと、絶(た)えず誘惑するサタンの力が働きます。
 「置(お)かれた場所で咲(さ)きなさい」(渡辺和子著(わたなべかずこちょ))と言う読み易い良い本がありますが、
今こうして私達は神様が導いてくださったので、イエス様のおられる所、教会に
置かれています。イエス様がおられる教会に深くしっかり根(ね)を降(お)ろし、根を
はり、イエス様の中に満(み)ちあふれている神様の愛と命の力をいただきながら、
私達はイエス様の香(かお)り、イエス様の暖かさ、柔和さを放(はな)つ花として咲きます。
 神様が、私達に最高の贈物をくださいました。ご自分の御子イエス様です。人の
姿で、御子イエス様をこの世に誕生(たんじょう)させてくださり、イエス様に従っていくこと、
イエス様と愛し合って生きていくこと、イエス様に固く信頼していきていくことで、
神様は私達に永遠の命、神の国、本物の救いを与えてくださいます。そして私達を
「自分ファースト」で生きる者ではなく、イエス様のように、心からの喜びと共に
「神様ファースト」で生きる者として、神様の力で新しく造(つく)り変えてくださいます。
私達は神様の力に助けられながら、イエス様に従って生きることで、日毎(ひごと)、日毎、
新しく生まれていきます。見た目はだんだん年をとって行きます。でもイエス様に
従って生きる日を重(かさ)ねるごとに、私達はイエス様に向かって、新しく生まれていく
のです。イエス様がこの世におられた時、いつでも神様を見上げて、神様を愛して
いたように、イエス様に従う私達もまたイエス様に似(に)た「神様の子供」、神様
を仰き神様を愛する「神様の子供」、天の国に最もふさわしい「神様の幼子」
へと、日毎、新しく生まれていくのです。このことを成(な)し遂(と)げてくださるのも、
神様です。神様は何でもおできになるからです。
「子供達を来させなさい。私の所に来るのを妨(さまた)げてはならない。天の国は、この
ような者たちのものである」(マタイ19:14)

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