日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

神に栄光、地に平和

説教

タイトル : 「神に栄光、地に平和
聖書   : 申命記5:19 ルカ2:8-14
年月日  : 2012-12-23  
特記事項 : クリスマス合同礼拝
       
最初の聖書は「盗んではならない」と言っています。これは十戒と言って、人が、
神様と人を愛して生きていくのに必要な規範として、神様が与えた10の戒めの一つ
です。「盗んではならない」。こんなことは教会で言われなくても、子供でも知って
います。それでも神様は、「盗んではならない」と十戒の中で命じています。なぜで
しょう。それは神様が、私達の欲深い本性を良くご存知だからです。
私達が生きていくには、お金はもとより、生活するために様々な物が必要です。
「日用の糧を今日も与えたまえ」と神様に祈りなさいと、イエス様は主の祈りを、
弟子達に教えました。私達のすべてをご存知である神様は、今日私達が生きるのに
何が必要かを私達以上にご存知です。そして神様は必要な物を用意してくださって
います。だから私達のために用意された物を、それぞれが感謝して、神様から受け
取るだけで、皆が「今日と言う日」をちゃんと生きていけるはずなのです。本当は。
でも実際はそうはいきません。神様が「あなたにはこれで充分」と定めたも
のだけでは満足しきれない私達なのです。食事をして、お腹は満腹しているの
に、隣の人が何かおいしそうなものを食べていると「目が食べたがる」と言う経験が
あると思います。私達には神様が「これで充分」と定めた以上に「もっともっと」
と際限なく欲しがる目があり、ノドから手が出てくる欲深い心があります。 
そして私達は自分では抑えきれない欲深さの言いなりになって、お金、食べ物、
贅沢品、権力など、自分が必要とする以上に、たくさんのものを集めて一人占めに
します。それは別の角度から見れば本来、他の人のものになるはずだったものまで、
横取りして自分のものにしている。他の人のものを「盗んでいる」のです。「いや、
合法的に手に入れたのだから私のものだ」と、世間は言うでしょう。でも世間では
合法であっても、神様の目には「盗んでいる」としか映りません。
世界には、満足に食事もできずに栄養失調で亡くなる子どもたちが大勢いますが、
その一方でコンビニなどは、時間を過ぎたからと、たくさんの食べ物を廃棄します。
また今の時期、各地の施設や教会から献金や寄付の依頼が届きます。活動を続ける
ために必要なお金です。何とか応じたいのですが、御殿場教会は赤字収支のため、
教会として活動していくだけで精一杯です。その反面、人が一生働いても稼げない
大金を、遊ぶために一晩で使う人もいます。どこか変です。あり余るほどのものを
持っているなら、それを必要としている人たちと、どうして分かち合おうとしない
のでしょう。余っているなら一人占めしないで分かち合えば、お金でも食べ物でも
みんなに行きわたります。今の貧しさを少しでも和らげるのに役立ちます。簡単な
ことなのに、でもそれが出来ない。やろうとしないのが、私達人間の罪です。
神様が用意してくださったものに満足せず、神様が定めた以上に、他人の
分まで集めて1人占めすること、そして他の人たちと分かち合わないことは、
「盗んではならない」と言う戒めに反しています。その結果、私達の生活の格
差はますます広がり、社会には不安や、不満、ねたみ、怒りがあふれていきます。
また「盗んではならない」、これは「他人から盗むこと」だけを禁じているのでは
ありません。この世界は神様が造ったものです。大地も海も様々な資源も、世界の
すべては神様のものであって、人はこれを管理するよう神様から委託され、地上に
いる間、この世界を使うことが許されているに過ぎません。にもかかわらず、人も
企業も国も、神様のことなど無視して、神様からお預かりしている世界を我がもの
顔で、先を争い「世界はオレのものだ」と主張して譲りません。この時「神様から
盗んでいる」のです。「盗んではならない」ことは知っています。
でも私達は他人から盗むだけでなく、実は、神様からも堂々と、全く悪び
れることもなく、盗み続けています。
そして神様から盗む時、人は神様の世界を盗むだけではなく、みずからが神と
なり「神様の座」を盗み「神様の主権、神様の栄光」まで盗んでいるのです。
「神様の座」を盗み、自分が「神様の栄光の座」に座って、神になりすまして、
自分の正しさ、自分の利益を絶対化します。そして逆らうものは、容赦しません。
神になりすました人や企業、国ほど危険なものはありません。決して自分の過ちを
認めないし、自分の貪欲さを貫くためなら手段を選びません。そのため世界各地で
テロや紛争が起き、憎しみと敵意の中で、多くの命が失われる悲劇が、今日もなお
くり返されています。そして家や仕事、家族を失った難民が紛争を逃れて、今日を
生きることが出来るわずかな糧、小さな平和を、肩を寄せ合い必死で求めています。
もう一つお読みしたルカ福音書は、夜通し、羊の番をしている羊飼いに、天使が
救い主の誕生を告げる場面です。羊飼いは日中、羊を守って歩き周り、夜は野宿と
いう苛酷な仕事です。そのためユダヤ教の規則通り生活することが出来ず、社会的
には低く扱われていました。でもそんな羊飼いに、天使は真っ先に「あなたがたの
ために救い主がお生まれになった」と大きな喜びを告げています。飼い葉桶で寝て
いる乳飲み子こそ、救い主のイエス様です。そして天使が救い主の誕生を伝えると、
天の大軍も加わって、神様を讃美して言っています。
「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心にかなう人にあれ」。
人は「盗んではならない」と言う戒めを破り、他人からも、神様からも盗み続けて
きたため、神様が造られた世界の調和と秩序は乱され、神様の栄光と地上の平和も
踏みにじられてしまいました。このように混乱した世界を再び、神様の世界に取り
戻し、神様の栄光と地上の平和を回復させるために、神様の御子であるイエス様が
救い主として、この世に誕生されたのです。
ではイエス様はどのように、この世界を回復して、救ってくださるのでしょう。
スーパーヒーローのように悪人を全部コテンパンにやっつけて、世界を平和にする
のでしょうか。でもそれだと世界中から人がいなくなります。私達は皆「盗んでは
ならない」と言う戒めを守れてないからです。私達は皆、神様の栄光の座を盗んで、
自分を神にして自分中心、自分最優先、欲深く、したたかに生きているからです。
 そういう私達のために、御子イエス様を通して、神様が計画された世界の救い、
世界の回復は、人の想像をはるかに越えた、思いも寄らないものでした。
 先程も言いましたが、世界のすべては神様のものです。大地や海だけでなく人も
また神様のものです。つまりこの世に、「私のもの」は、何一つないのです。私
自身でさえ、「私のもの」ではありません。私達は誰であろうと皆「神様の
もの」です。そのことを私達の歴史の中で明らかにするため、神様はご自分の御子
イエス様を、この世界に誕生させました。でもこれはまだ神様の救いの計画の第1
段階です。本当は、スーパーヒーローに悪人が全部ぶっ飛ばされてしまえば、簡単
なのです。でも神様はそうしない。神に成りすまして、自分の欲深さを正当化し、
神様から離れているすべての人を神様はイエス様の尊い命を身代金として
支払って買い戻すのです。神様は何て浪費家なんでしょう。善人そうな人だけを
買い戻すのではなく、分け隔てなくすべての人を惜しまず御子の命を支払って
買い戻します。そして今度こそすべての人を神様のものとして、神様の愛
命の中に取り戻すのです。
 すべての人を神様のものとして買い戻すために、イエス様の命が支払われたのは、
十字架の上です。十字架の上で、すべての人のために、ご自分の命を与えるために、
イエス様は誕生しました。だからイエス様の誕生で終わりではなく、これは神様の
救いの計画の第1段階と言ったのです。でも大切なことは、イエス様は嫌々ながら
この世に誕生したのでもないし、仕方なく十字架で、ご自分の命を身代金として、
与えたのでもないということです。十字架につけられる前、「友のために自分の命を
捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)とイエス様は言いました。
 イエス様を憎み、殺害を企んだユダヤ教指導者たち。イエス様を罵り、石を投げ、
唾を吐きかける群集。こんな罪人をイエス様は友と呼びます。そして友のため
にイエス様は、ご自分の命を与えることを惜しみません。イエス様は彼らを
罪人として憎むのではなく、罪人の彼らを友として愛し、友である彼らを、
神様のものとして救い出すために、イエス様は彼らに尊い御子の命を与える
のです。
 2000年前、御子の命によって私達は神様のものとして、買い戻されていました。
だから私達は皆、神様のものです。さらに神様はイエス様を救い主と信じる者を、
神様の子供として迎え、神様の相続人としてくださいます。神様から盗まなくて
済むように、神様が私達を買い戻し神様の子供として迎えてくださるのです。 
だから私達は「神様の栄光の座」を盗もうとしなくていい。神様の愛、イエス様の
愛に満たされている私達に、足りないものはなく盗む必要もない。私達がすべきは
神様だけが栄光の座にふさわしいと、神様の前にひれ伏し、神様を讃えることです。
そして神様が日々与えてくださるものを、神様のものとされているすべての人たち、
世界中にいる神様の兄弟姉妹と分かち合い支え合って、平和に生きていくことです。
 私達が天に生まれるために、イエス様は地上に生まれました。私達が神様の子供
として高く引き上げられるために、イエス様は最も低く卑しくなり、十字架で命を
与えました。「神に栄光、地に平和」を完全に完成させるため、この世にイエス様を
与えた神様は、今日も救いの完成目指して、私達を、教会を導いておられます。
 

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