日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

神に希望をかけている

説教

タイトル :「神に希望をかけている
聖書   : 第2コリント1:8-11  
年月日  : 2013-11-3
パウロはキリストの使徒とされてから、各地を旅しながら、伝道していました。
この手紙の宛先であるコリント教会も、パウロが伝道して生まれた教会の1つです。
パウロは同じ信仰に生きている者としてコリント教会に「兄弟たち」と呼びかけて、
「アジア州で自分が体験した苦難を、ぜひ知っておいて欲しい」と言っています。
 アジア州とは今のトルコを思い浮かべていただければ良いかと思います。アジア
州に生まれた教会には、エフェソ教会、コロサイ教会、ガラテア教会の他、ヨハネ
の黙示録に書かれている諸教会などがあります。しかしどこでも伝道する先々では、
罵り、投獄、拷問などの迫害、苦難が待ち受けていました。パウロは、ユダヤ人で
したが、ローマの市民権を持って、ギリシャ語もラテン語も語れたはずですから、
どこに行っても現地の人たちと、自在にコミュニケーションを取れたと思います。
でも伝道するとなると、状況は一変します。まず現地にいるユダヤ人が、ユダヤ人
のパウロの伝道の言葉に、真っ先に反応して激怒します。
パウロが語ったのは「イエス様は神様の御子であり、真の救い主・キリストです」。
「イエス様を救い主と信じるなら、ユダヤ人でなくても誰でも、父なる神様から、
罪のない者、神様の家族として受け入れていただけます」と言う良き知らせ・福音
です。しかしユダヤ人にしてみれば、神様の御子などと言う存在は認められないし、
ユダヤ人以外の者、汚れた異邦人が救われるなど、もっての他です。パウロが語る
福音は、ユダヤ教を、そして神様を冒涜しているとしか思えません。死に価すると
して、ユダヤ人たちは同胞のパウロに、迫害の牙をむきます。
また日本にも地域ごとに氏神があるように、アジア州の各地でも、多くの神々が
祭られていました。そこに入り込んで、パウロが「真の神様はこの方しかいない」
と、他の神々を否定するわけですから、当然、現地の人たちは反発して攻撃します。
御殿場教会の産みの親である宣教師バラも、迫害と無縁ではありませんでした。
長くキリスト教が禁じられていたこともあり、バラ宣教師が路傍伝道していると、
人々は罵り、石を投げつけました。このような宣教師の話は日本各地にあります。
伊勢神宮のある紀伊半島で伝道した宣教師もいました。「ヤソの外人がお伊勢さんの
聖域で、何とバチ当りなことをするんだ」と反発はものすごかったようです。その
宣教師に投げつけられた石を、教会の土台に埋め込んで建てられた教会があります。
日本での宣教師に対する迫害以上に、2000年前、パウロたちに対する迫害は容赦
ないもので、悲惨でした。それは8節以下の、パウロの言葉からも分かります。
「私達は耐えられないほど、ひどく圧迫されて、生きる望みさえ、失ってしまい
ました。私達としては、死の宣告を受けた思いでした。」(8-9節)
伝道している最中に、何度も迫害され、投獄されて、ムチ打たれるなどの拷問を
受けています。1コリント15:32に「エフェソで野獣と闘った」と書かれています。
逮捕され、コロシアムのような所で、野獣と戦わされたのかも知れません。迫害、
拷問によって仲間が次々と倒れて行きます。「次は自分の番だ」とパウロも覚悟して
いたはずです。しかし野獣に噛み殺されたり、生きたまま火あぶりにされたりして、
命を落としていく仲間を見続けるのは、耐えがたい苦しみです。大きな犠牲が出て
いるにもかかわらず、全く伝道が進展しないこともあります。パウロも人の子です
から、多く働いたら、多くの収穫を期待します。しかし働いても働いても、収穫が
得られない。ただ死の苦しみだけが大きく迫ってきます。「もうムリだ。ダメだ」と
アジア州で、あのパウロが絶望の淵に立たされ、生きる望み、意欲を失ったのです。
 私達も思いがけない苦難に出合って落ち込み、生きる希望を失うことがあります。
そして死の誘惑にかられます。「これ以上、自分の出来ることは何もない」と自分の
無力さを思い知らされ、生きることが空しくなるからです。同じ状況に立たされた
パウロは、その時どうしたのか。9節後半を見てください。
 「それで、自分を頼りとすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りに
するようになりました。」
 大きな苦難に立ち往生して、生きる希望を失ったところまでは、私達と同じです。
でもその時、パウロは「苦難に耐え切れない無力な自分」に頼ることを、キッパリ
止めます。自分の知恵や力、自分の可能性に頼ることを一切、止めたのです。
自分に頼る代わりに、十字架で死んだイエス様を、陰府の底から引き上げ、
復活させてしまう、神様の絶大な力だけを頼みとし、信頼するようにしたの
です。死と言う絶対的な現実さえ、神様はひっくり返します。空しい死の中
からも、復活と言う輝く新たな命の希望を、神様は生み出すことができます。 
パウロにしろ、私達にしろ、人の力、人の可能性には限界があります。けれども
神様の力、神様の可能性に限界なんてものはありません。
天使がおとめマリアに向けて「神様に出来ないことは何一つない」と(ルカ1:37)、
告げた言葉を思い出してください。
 神様の前に立ちふさがることが出来る力、神様の全能に優る力など、この世には
ありません。この真実を、パウロは絶望の淵に立たされた時、思い起こしました。
そして全能である神様にのみ、自分のすべてを預け切って、生き直したのです。
 すると不思議なことが起きました。投獄され、処刑寸前だったのかも知れません。
いずれにせよ死の危険から、パウロたちは奇跡的に救い出されました。パウロは、
「これが全能なる神様の御業なのだ」と確信しました。
 パウロの中には、復活したイエス様のお姿が、今でも鮮やかに刻まれています。
同時に、死に打ち勝つ復活の命への確信が、パウロの体の中で熱く燃え続けている
ので、この確信を伝えずにはいられません。イエス・キリストを通して与えられた
命の救いの確信、福音を、多くの人たちに宣べ伝える使命が、パウロにはあります。 
「この使命を果たすまでは、どんな苦難が襲ってこようと、神様は必ず、私達を
救ってくださる。今回、神様が私達を救ってくださったように、これからも神様
は全能の力で、どんな苦難からも必ず私達を救いだし、私達を生かして福音伝道
の使命を果たさせてくださるのだ」と、パウロは確信しました。
そこで、パウロは、心の底からわきあがる信仰の喜びに満たされて、宣言します。
「私達は、神に希望をかけています」。
ここを原文にそって意訳すると「神様にすべての希望をかけてしまっているので、
神様への希望は、今も私達の中で、ずっと熱く燃え続けています」となります。
アジア州でパウロが味わった死ぬほどの苦難の体験は、苦しいだけで終りません
でした。パウロの苦難の体験は、自分の無力さと神様の全能を体験して、神様を
全面的に受け入れることで、「全能の神様にすべてを期待して、すべての希望を
神様において生きる」という、さらなる信仰の成長へと、変えられました。
「パウロが信仰の成長」と言うと、違和感を覚える方もいるかもしれませんが、
パウロも、コリント教会や私達と同じ未完成な信仰者であり、神様から使命をいた
だいている働き人の1人です。ですからパウロの体験は、コリント教会はもとより、
私達自身の体験にもなるわけです。

私達もそれぞれ、神様から、この世で果たすべき使命・宿題をいただいています。
その使命・宿題が果たされるまでは、苦難に遭遇して「もうダメだ」と絶望しても、
神様は必ず私達を救い出します。と言うより、苦難に完全に打ちのめされどん底に
沈んでいる私達のすぐ隣りに、目の前に神様は復活のイエス様を送ります。
そして復活のイエス様は、私達を抱きしめたまま、どのような深みからでも、
私達を引き上げて、救い出します。
この救いの体験を通し、私達もパウロのように、苦難の時も私達から目を離さず、
私達に必要な助けを与えることが出来る「神様の全能」に目覚めていきます。
すると自分の可能性を信じるのではなく、神様の可能性を信じる方向に、徐々に
自分の重心が移動していきます。
そしてもっともっと神様に向かって、自分を明け渡していきます。神様の使命を
果たす時も、自分の力に期待するのではなく、すべてを神様に期待します。「神様が
必ず使命を果たさせてくださる。神様の宿題をやり遂げるために必要な救いと力は
必ず神様が与えてくださる」と確信して、徹底的に神様に希望をおいて生きて行く
ように、私達は変えられていきます。
こうして私達の信仰は、生涯、立ち止まることなく、苦難に遭遇する度に、
益々神様に期待し、神様に希望をかけて生きる者として成長していきます。
これが信仰生活の喜びです。神様による信仰の成長を噛みしめ、味わう喜びです。
 「神様に期待して、神様に希望をかけて生きる」信仰のために、コリント教会に
パウロは、祈りの応援を求めています。
祈りこそ、神様を頼みとし、神様に希望をかけていることの確かな証です。
このような祈りの応援が、多く集まれば集まるほど、福音伝道のために、労苦して
仕えていくパウロたちに、神様はさらに力強く働いて、行く先々で遭遇する厳しい
苦難の中でも、より深く豊かな神様の救いの恵みに、出合わせてくださいます。
苦難の中で出会う深く豊かな救いの恵みの体験は、かれることのない泉のように、
多くの人たちの心を感謝でうるおすと共に、多くの人たちを苦難の時も神様に頼り、
神様に希望をかける者にしていきます。

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