日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

神によって生まれた

説教

タイトル :「神によって生まれた」   
聖書   : 詩編30:2-6,ヨハネ1:10-13  
年月日  : 2015-4-5
特記事項 : イースター礼拝
 
 今日は十字架で死んだイエス様が3日目に復活されたことを喜び祝ってささげるイースター礼拝です。ヨハネ1章1-14節には「言」と言う文字が何度も出てきます。これは人の言葉ではなく「神様の言葉」のことであり、また「神様の御子イエス様」のことです。従って「言」と書いてあるところを「イエス様」に置き換えて読むと、イエス様がどういうお方であるかが分かって来ます。
 イエス様は世界が造られる前から父なる神様と共におられ、神様と等しいお方、またこの世のすべてのものは、神様の意志を表す「神様の言・イエス様」によって造られました。と言うことは、「この世のすべては、本来、造り主である神様のもの、イエス様のものだ」ということです。
 でもこれほど偉大な権威を持つ神様の御子イエス様が、わざわざ人となり、この世に来て、十字架で死んで復活したのは、なぜでしょう。そしてイエス様が死から復活したことは、私達とどのような関係があるのでしょう。
 10節「言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった」。イエス様は、私達が生活しているこの世に住んでおられました。しかしこの世は「神様の言・イエス様」によって造られ、神様のもの、イエス様のものであるにもかかわらず、イエス様を認めませんでした。認めるどころか「十字架につけろ」と世の人々は叫び、イエス様を徹底的に排除しました。
 人が神様の言を聞こうとしないのは、昔から変わりません。聖書は前が旧約聖書、後ろがイエス様の誕生後のことを記した新約聖書になっています。でもイエス様が生まれる大昔に書かれた旧約聖書の方が、圧倒的に分量が多い。さっき読みました詩篇30編も、旧約聖書の中にあります。
 大昔の旧約聖書の時代の人々も、神様の言葉を素直に聞こうとはしませんでした。そのたび神様に怒られ、こらしめられます。神様のこらしめの形は、災害だったり、外国の軍隊が攻めて来たり、様々です。そしてピンチになると、人々は急に神様を思い出して、「神様、命を助けてください」と神様に救いを求めて祈り、叫びます。詩篇30編の作者も、危ないところで神様に命を助けてもらい、九死に一生を得て、喜びの歌と共に朝を迎える奇跡的な経験をしたのでしょう。だから詩篇の作者は、心からの感謝と共に、神様の救いについて、次のように言っています。(3-4節)
 「私の神、主よ。叫び求める私を、あなたはいやしてくださいました。主よ、
あなたは私の魂を、陰府から引き上げ、墓穴に下ることを免れさせ、私に
命を得させてくださいました」。
 「もう少しで死ぬところだった。死んで墓穴に入り、陰府(死者の国)の住民になるところだった。だけど神様は私の命を助けて、生かしてくださった」と作者は言い、「神様こそが命を救う方なのだ」と、神様をほめたたえて信仰を告白しています。
 事実、6節の「ひととき、お怒りになっても、命を得させることを、御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」。これが神様です。人が神様の言葉にも聞かない、ガンコな自己チュウであっても、それでもやはり人の命を助け、生かしてくださるのが、変わることのない神様の御旨、神様の意志です。そして「人の命を助けたい」と言う神様の意志は益々強くなって行きます。神様は、どうしようもなく深く人を愛しているからです。
 詩篇の作者は、神様に命を助けられましたが、詩篇の作者もだんだん年を取り、最後は死んだはずです。人は皆、生まれて地上の命が始まりますが、いつかは死という終わりが来ます。病気や闘いで命が危ない時、神様に命を助けてもらっても、その命はいつか終る。始めがあれば、終わりもあります。神様が造られたものには、皆、始めがあり、終わりがあります。人の命も同じです。
 でも人を深く愛している神様は人を、終わりが来る地上の命で生かすだけではなくて、「決して終わりのない命、神様の命、永遠の命」を人に与えて生かすこと、地上の命を終えても、人に神様の命を与え、神様の子供として、ご自分と共に、人を永遠に生かすことを、神様は大胆にも決意されたのです。
 神様のこの決意を実行するため、「神様の言・イエス様」は、私達と同じ人の姿で
この世に誕生されました。クリスマスの出来事です。でも「人の命を死から救う」という神様の計画は、クリスマスだけでは終りません。
イエス様は全身が「神様の言」です。だからイエス様が語った言葉だけでなく、世間が忌み嫌う人たちと親しく食卓を囲んだり、見捨てられた病人をいやしたり、イエス様がなさったこと、イエス様のすべてを通して、人々は神様の言を聴いて、神様の愛の意志を知ることができました。いや、できるはずでした。でも実際は、11節で言っているように「民は受け入れなかった」。
 人は「神様の言・イエス様」を受け入れられず、否定し、神様の愛を知ることも出来ない。これが、人の現実です。でもここに、人の現実を根底からひっくり返す神様の圧倒的な力が働いて、人知を越えた「神様の出来事」が生まれるのです。
 12節「しかし言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである」。
 ここにいる信仰者も、初めから信仰者だったわけではありません。偉大な伝道者パウロだって、最初はイエス様を否定する教会の迫害者でした。しかし神様の力が働く時、これまでずっと神様の言を無視し、イエス様を否定してきた人であっても、「イエス様と言う生きた神様の言」を聴けるようになる。イエス様を信じない者が、イエス様の言、イエス様の生涯、イエス様の十字架と復活、イエス様の救いを聴き、受け入れ、信じる者へと変えられる。神様のドンデン返しの奇跡が起こるのです。
 そして神様の子供は、本来は、イエス様だけですが、イエス様を信じるすべての人に、イエス様と同じ、「聖なる神様の子供」となる資格が与えられます。
 「そんなことはありえない。これまで散々悪いことをして、人も傷つけてきた」。誰もが心の中で思っていることです。だからイエス様は十字架で、人が重ねてきた天文学的な罪の大借金を、ご自分の命で完全に返済して、「神様からの無罪判決」を獲得してくださいました。これが「イエス様の十字架の死」の意味です。
 人と同じように、イエス様は死にました。でも神様はイエス様を復活させました。人類史上初の「死人の復活」が起きました。「人の命を死から救う」と言う神様の決意が、イエス様において初めて実現しました。だからイエス様を信じるすべての人に、イエス様と同じことが起きます。イエス様の後に続き、イエス様を信じる人にも、「死からの復活」が起きます。これは旧約の一時的な「命の救い」とは違います。「死を超えて、永遠に生きることが赦される、完全な命の救い」です。
 イエス様を信じるすべての人に「死に勝利した永遠の命」と、神様が「良し」と宣言する「神様の子供の資格」が与えられます。人は誰でもイエス様を信じるなら、神様の子供として、新しく生まれることができます。これは神様の御業です。
 神様の御子イエス様が、人となって世に来て、十字架で死に、復活されたのは、ご自分のためではない。
 死んだらチリに返るしかない私達を、「死を超えて生きる神様の子供」として生みだすためです。私達を「罪と死から自由な神様の子供」として、次々と生み出していくためです。そのためにイエス様は復活したのです。
 世界も人も神様を無視して暴走していますが、すべてのものは神様の言によって造られたのであり、神様のものです。だから神様は、世界も人も神様のものとして取り戻します。ご自分の愛と命の中に取り戻します。神様の子供を生み出すことで、世界も人も、すべてのものを、神様の中に取り戻します。
 2000年前、イエス様が復活されてから、神様はイエス様と同じ神様の子供たちを世界中に生んで来ました。
神さまの子供たちは、復活のイエス様に飲み込まれていると同時に、自分の中に復活のイエス様を宿しています。このような神様の子供たちが、全世界に広がっていくことで、すべてのものが神様のものとされ、神様の下に立ち帰ります。 
 今日、イエス様が復活されたイースターの朝、神様の子供が1人生まれました。これは、人の知恵や力によるものではなく、ただただ神様による創造の御業です。そして神様の創造の御業を起こす源は、復活の命に満ちあふれている力強い「神様の言・イエス様」にこそ、あります。

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