日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

生きよ

説教

タイトル :「生きよ
聖書   : エゼキエル18:23,32 1ヨハネの手紙4:8-10
年月日  : 2018-4-1
特記事項 :イースター合同礼拝
今日は十字架で死んだイエス様が、死から復活されたことを祝うイースターです。
イエス様は神様の御子であり、神様と等しい力をお持ちの方です。そのイエス様が
私達と同じ人の体でこの世に生まれ、十字架で死に、そして復活されました。なぜ
神様の御子のイエス様が、そんな面倒なことをしたのか。それは私達のためです。
イエス様が死んで復活された道を、私達も同じようにたどることができるよう、
「死から復活の道、永遠の命に至る道」をイエス様が切り拓いてくださいました。
 ですからイエス様の復活はご自分のためではありません。死という行止まり中に
いる私達を救い出すため、死を超えて尚、私達が生きていくため、イエス様と同じ
ように私達も死の中から復活するため、イエス様は私達に代わって死の行止まりを
撃ち破りました。そして「永遠の命と栄光の体」を伴い、「私達すべての人間の代表」
として、一番最初に、死の中から復活してくださいました。
イエス様の復活は、私達のためです。イエス様の復活は、私達の復活でも
あります。だから私達は、イエス様の復活をこうして心から喜び、感謝し、祝うの
です。
聖書を読むと、最初の人アダムが、神様の言葉に背いて罪を犯した時から、人は
死ぬべき者となりました。でも人間の死を一番悲しんでおられたのは、神様でした。
その神様の言葉を、預言者エゼキエルが伝えています。
「私は悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼が、その道から立ち
返ることによって、生きることを喜ばないだろうか」(エゼキエル18:23)
「私は誰の死も喜ばない。お前たちは立ち返って生きよ、と主なる神は言われる」
(エゼキエル18:32)
すべての人が、神様から造られ、神様の命の息を吹きこまれて、誕生しました。
神様から造られることなく、神様にナイショで生まれた人など、1人もいません。
すべての人が、神様のオリジナルの作品であり、なくてはならない大切な存在です。
その大切な1人1人が、自分勝手に罪を犯して死んでいくのを、神様は放っておけ
ません。だから神様はすべての人の罪が赦されること、そして死ぬ者ではなく、
神様に立ち返って生きる者となるよう、救いのご計画を立てました。それが、
「イエス様の十字架の死と復活」でした。
この救いのご計画は、神様の愛が動機です。神様の救いは、すべて神様の愛から生まれたものです。
 「神様は愛だからです。神は独り子を世におつかわしになりました。その
方によって、私達が生きるようになるためです。ここに神の愛が私達の
内に示されました。私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛して、
私達の罪を償ういけにえとして御子をおつかわしになりました。ここに
愛があります」(1ヨハネの手紙4:8-10)。
 神様の愛は、私達人間の罪をキレイに処分するだけでは終わりません。私達を、
神様の元で、イエス様と同じ神の子として生かすことまで願っておられます。
 それには私達の罪を償って、イエス様が十字架で死んだままでは、ダメなのです。
イエス様の十字架の死だけでは、神様の救いのご計画はまだ完成しません。神様が
願っている通り、私達を、罪のない清い神の子として、神様のもとで永遠に生かす
ためには、イエス様は十字架で死んだままではなく、死の中から、永遠の命と栄光
の体をもった「神の子の姿」で復活することが、どうしても必要なのです。
私達が生きることを、誰よりもまず神様が強く願ってくださっています。
そして神様の強い愛がこめられた願いを、イエス様が十字架の死からの復活
において、実現してくださいました。それほどまでに、私達は神様から愛さ
れています。
でも残念なことに、私達は神様から愛されていながら、肝心の私達の方が生きる
ことをあきらめてしまう。または私達が人を生かすことをあきらめてしまう現実が
あります。子供をふくむ自殺者が、交通事故で亡くなる人たちより多い。いじめや
他人の苦しみ、痛みを見ても、「自分には関係ない」と無視して、割り切ってしまう。
そのような現実が、私達の身の周りには、たくさんあります。
今年「夜明けの祈り」と言う実話にもとづく映画を見ました。第2次世界大戦後、
ポーランドの修道院のシスターたちを、占領軍のソビエト兵が何度も襲いました。
そして襲われるたびに、シスターたちは妊娠してしまいます。
 シスターたちは神様に仕える身であり、貞節を守ることを誓っていましたから、
妊娠していることが世間に知られないよう、自力で出産していました。でも難産で
苦しむ同僚のために、別のシスターが連れてきた赤十字の女医が帝王切開をして、
シスターと赤ちゃんの命を救います。女医はポーランドを離れる日まで、シスター
たちの出産を助けていました。「秘密を守る女医がいて良かった」。それで問題解決
とは行きません。修道院の秘密を守ろうとした院長が、生まれた赤ちゃんを親戚に
預けると言って、森に捨てていたことが、シスターたちの知るところとなります。
もう赤ちゃんを森に捨てることはできない。赤ちゃんを殺すことは出来ない。では
赤ちゃんをどうしたのか。シスターたちは、戦争によって親を亡くした孤児たちを、
修道院で育て始めます。そしてシスターたちが産んだ赤ちゃんも一緒に育てます。
ラストシーンで、女医に届いた一枚の写真に、赤ちゃんや孤児たちを笑顔で抱いて
いるシスターたちの姿がありました。
 シスターたちが抱いていた赤ちゃんは、ソビエト兵によって生まれた子供です。
子供の顔を見るたび、神様に仕える自分たちを辱めた憎い敵、神様の敵、敵の罪を
思い出して敵を憎んだはずです。「敵の子供だ」と産んだ子供さえ憎んだはずです。
でもそれ以上に強く、神様は宣言しています。先程のエゼキエル書18章です。
  「私は誰の死も喜ばない。お前たちは立ち返って、生きよ」32節。
 神様はご自分の敵にさえ「お前の死を喜ばない」「生きよ」と命じています。
神様は愛だからです。しかも神様は最強の愛です。神様は、誰のことも分け隔て
しないで、どこまでも愛しぬく究極の愛です。神様は愛だから、敵さえも愛して、
生きよ」と命じるのです。 だからシスターたちは子供を殺さずに、愛して、
生かして、育てた。  
冷静に考えると神様から見たら私達は皆、罪人であり、神様の敵です。だから
私達に対する神様の愛は、「敵を赦し、敵を聖めて、敵を受け入れる愛です」。
敵にさえ、「生きよ」と命じるほど大胆で、寛大な愛です。そしてこの「敵へ
神様の愛」を実現させたのが、「イエス様の十字架と復活」です。
「イエス様の十字架」において、神様はご自分の敵に、本気で「あなたを愛して
いるから、あなたを永遠に赦し、聖めて、受け入れる」と言います。
さらに「イエス様の復活」においても、神様はご自分の敵に、本気で「あなたを
愛しているから、あなたは生きるに価する。あなたは私と共に生きなさい。神の子
として永遠に生き続けなさい」と言います。この言葉を、誰も否定することはでき
ない。どんな激しい憎しみ、怒り、敵意も、この言葉を否定することはできない。
なぜなら「イエス様が十字架の死から復活されたこと」は罪と死から生まれる
「憎しみ、怒り、敵意」に対する神様の愛の勝利だからです。神様に愛され
ている「命の勝利」だからです。深い罪や敵意、憎しみの中に埋もれている
命さえ、愛して生かすことができる神様の勝利だからです。
神様の愛は生きています。そして神様の愛は、命を生かします。神様の愛は、
人を生かします。愛することは生かすことです。愛することは、生きること
です。
私達は弱く愚かで、何度も罪を犯すけど、私達は神様に愛されています。神様に
愛され、認められ、生かされています。神様から復活の命をいただくほど、神様に
愛されています。神様は愛しているから私達に「生きよ」と命じます。神様の愛
中にいる私達は、神様の命、永遠の命の中にいます。
だから「私は生きても良いんだ。私は生まれて来て良かったんだ」。この叫びを、
イエス様の復活が支えています。神様は愛です。「愛は決して滅びない」(1コリント13:8)。
愛は死んでも滅びない。愛は敵の中でも滅びず、命を生かす。愛はどこまでも
生きる。愛は永遠の命だから。この永遠の命が、私達にも与えられています。
イエス様の復活によって、私達にも神様の愛、永遠の命、復活の命が与えられて
います。神様の愛に感謝。ハレルヤ!

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