日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

来て、見なさい

説教

タイトル :「来て、見なさい」   
聖書   : ヨハネ1:43-51  
年月日  : 2015-9-6
特記事項 :

 ヨハネの弟子だったアンデレがイエス様の弟子となり、アンデレが兄弟シモン・ペトロを、イエス様のもとに連れて行ったことで、ペトロもまたイエス様の弟子となりました。弟子から次の弟子へと、連鎖反応のように、つながっていきます。

 このことが起きた翌日、イエス様がガリラヤに行く途中、フィリポに出会うと、いきなり彼に「私に従いなさい」と言うと、フィリポは初めてお会いしたイエス様に従う弟子になります。そしてフィリポは、イエス様の弟子になったばかりなのに、「ナザレ人のイエス様は、メシア・救い主だ」と確信します。確信したからこそ、彼はこのことを隣人に伝えずにいられません。時間の長短は関係ない。アンデレも、ペトロも、フィリポも、イエス様の御手にガッチリ、捕らえられたからです。
 ここでまた「弟子から次の弟子への連鎖反応」が起こります。フィリポはナタナエルに出会うと「私はモーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出合った。

 それはナザレ人で、ヨセフの子イエスだ」と、興奮して伝えます。「モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方」とは、イスラエルの民が長年待ち望んでいたメシア・救い主のことです。つまりフィリポは「メシア・救い主であるナザレ人のイエス様に私は出会った」と告げたのですが、ナタナエルの反応はそっけないものでした。「ナザレから何か良い者が出るだろうか」。「メシアはベツレヘムで生まれる」と言われていましたが(ミカ書5:1)、ナザレについて特別なことは何も言われていません。ナタナエルにしてみれば「有名でもないナザレ出身で、王や貴族の息子でもなく、平凡なヨセフと言う男の息子が、待望のメシア・救い主だ」ということは、期待はずれで、納得できません。

 しかしフィリポがメシアについて「ナザレの人で、ヨセフの息子のイエスだ」と告げたことには期待はずれどころか、フィリポ自身も気づいていない重要な意味がこめられていました。メシアは神様が油を注ぎ、救い主の使命を与え、天から遣わした者ですが、幻のような架空の者ではなく、「ナザレで育ち、ヨセフの息子として実際に生きている1人の人間だ」ということをフィリポの言葉は示していたのです。

 「言は神であった」(ヨハネ1:1) 。また「言は肉となって、私達の間に宿られた」(ヨハネ1:14)とイエス様について聖書が証言しているように、メシア(ギリシャ語でキリスト)として世に来られた方、イエス・キリストは「真の神であり真の人」です。フィリポはこのことも含め、ナタナエルに伝えていたのです。そしてナタナエルにそっけなくされても、怯まず来て、見なさいと言っています。これは39節でアンデレたちに言ったイエス様の言葉「来なさい。そうすれば分かる(見るだろう)」と同じ意味です。従ってイエス様を伝えるということは、「人が語る」と言うより、「イエス様によって語らされている」と言うべきでしょう。「来て、見なさい」。イエス様を信じ、イエス様に従う弟子になることは、自然に起こることでない。イエス様に招かれ、イエス様と出合せていただくことによって与えられる「一方的な恵みの奇跡」です。私達も恵みの奇跡に、今、与っています。

 ナタナエルがイエス様のところへ行くと、イエス様が彼について言われました。「見なさい。真のイスラエル人だ。この人には偽りがない」。この言葉には、「真のイスラエル人」ではない「偽のイスラエル人」がいることを暗示しています。

 大昔、ヤコブが夜通し、神様と格闘をしていたところから、ヤコブはイスラエル(神争う、神と真剣に取り組む)と言う新しい名前をもらっています(創世記32:29)。以後イスラエルの民は神様に選ばれ、神様のために働く「神の民」とされたのですが、神様を無視する「偽イスラエル」も大勢いました。そういう神の民の中にあって、ナタナエルが真のイスラエル人・理想的人物だということを、イエス様は見抜いておられました。初対面で「真のイスラエル人だ」と言われて、驚いたナタナエルは「どうして私を知っておられるのですか」と尋ねました。すると「私は、あなたが
フィリポから話しかけられる前に、イチジクの木の下にいるのを見た」と言う更に驚くべき言葉が、イエス様から返ってきました。

 ナタナエルがイエス様を見るよりも先に、イエス様がナタナエルを見ていました。ナタナエルはフィリポに誘われた形になっていますが、彼はイエス様から選ばれ、イエス様に導かれていたから、イエス様を見ることになったのです。フィリポは、そのためのお手伝いをしただけです。その点では、牧師の働きも同じです。

 半信半疑でイエス様の所に来たナタナエルでしたが、自分のことを言い当てられ、驚いたはずみに、イエス様に「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」と告白しています。12弟子の中にナタナエルの名前はありませんし、またヨハネ福音書以外に彼の名前は出てきませんが、この時、彼はイエス様を信じる者、イエス様の弟子とされました。その彼に向かって、イエス様は言っておられます。

 「イチジクの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる」。
 ナタナエルは、この後、「もっと偉大なこと」つまり「イエス様の十字架の死」や、「死から復活されたイエス様」を見ることになったはずです。 

 「見る」と言う言葉が何度も出てきます。ヨハネ福音書には、キーワードになる言葉がいくつかありますが、「見る」と言う言葉もその一つです。ヨハネ福音書は、「見ることの大切さ」を強調します。でもそれは、ただ肉眼で見ることではなく、「心の目、霊的な目で見る、信仰によって見る」ということです。

 もしすべての人が、霊的な目で世の中を見ることが出来たら、たちまち教会は、大勢の人であふれるでしょう。朝礼拝はもちろん、夕礼拝、祈祷会、夜の黙想会。連日、人は教会につめかけて、神様を求め、神様に祈りを絶やさないでしょう。

 人が霊的な目で世の中を見ることが出来ないのは、人が無数の細菌やウィルスに囲まれていても、それを見ることが出来ないのに似ています。私達は、霊的な目が開かれていないので、自分の身の周りに邪悪な力がひしめいていること、罪の力、死の力があたりに漂っていても、全く気がつかず、平気で生活しています。

 もし私達が細菌やウィルスを見ることが出来たら、私達は何にも触(さわ)れなくなるし、息を吸うことさえ、怖くて出来なくなるでしょう。でも霊的な目が開かれたなら、身の周りに邪悪な力、罪と死の力がひしめいているのを見て、このままだと危ないと気づくでしょう。そしてそれらの力から私達を守ってくださる方がおられること。どんなに邪悪な力、死の力も、その方には近づけないことを見るでしょう。そして私達は「助けてください。守ってください」とその方に駆けより抱きついて、お願いするでしょう。その方とは、この礼拝におられるイエス様です。「私達を滅ぼそうと襲いかかる、あらゆる力から守ってくださる確かな砦が、イエス様だ」と言うことを、私達は、霊的な目、信仰の目で、しっかり見るでしょう。

 そしてイエス様は、ナタナエルだけでなく、私達に向かっても宣言されています。51節「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが、人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる」。

 地上から天まで伸びるハシゴがかかり、天使が昇り降りするのを、野宿していたヤコブが夢に見ました(創世記28:12)。しかし今度は夢ではなく、実際に天が開けて、神様がおられる天の御座からイエス様めがけて、まっすぐハシゴがかかり、天使が昇り降りするのを、すべての信仰者が見ることになります。

 イエス様は陰府と地上と天を完全につなぐ唯一のハシゴです。イエス様は陰府から天にまで届くハシゴであり、罪人が天に入るための唯一の門です。故にイエス様は、神様の御子でありながらも人となり、ナザレで暮らし、十字架で死んで陰府に降り、復活し、神様の右に座られました。そして陰府に降った罪人と、天におられる神様を、ご自分の体を通して1つに結んで、神様に帰る道を完成してくださいました。「私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない」(ヨハネ14:6)からです。

 イエス様のお体である教会は天の門です。ここにイエス様がおられるから、天が開かれ、天使が神様の恵みを私達に降り注いでいるのを、私達は見ます。またイエス様のお体が天に届いているのを私達は見ます。ここは天の門です。だから私達はここを離れません。ここが、地上における私達の家、私達の砦です。
 地上で生きる私達には、嫌気がさす出来事が山ほど起きます。でもイエス様は、私達を選び、ご自分の下に招いて、私達を、イエス様を信じる者・イエス様と1つに結ばれた者、イエス様の体の一部としてくださいました。

 私達はイエス様と一体にされているから、私達の人生の一瞬一瞬に、天が開かれ、私達の人生めがけて天からハシゴが伸びて、神様の永遠が注がれるのを見ます。そして私達の人生が、神様の永遠と固くつながれ、支えられているのを、私達は見ます。

 私達は世界を嫌悪するだけでは終わりません。イエス様は信仰者と共におられるから、天から信仰者に向かって伸びたハシゴが、世界中に森のように立ち並んで、世界中を支え、世界中を天の恵みで満たすのを、私達は見るからです。

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