日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

失われた羊のところに行きなさい

説教

タイトル:失われた羊のところに行きなさい
聖書  :マタイ福音書10:5-15
年月日 :2009.07.05
特記事項:

 弟子達の中から12人がイエス様の使徒として選ばれ、イエス様の権能が分け与えられました。12人はイエス様の全権大使として、これから各地に遣わされていくわけですが、出かけるにあたり、イエス様がいくつか注意を与えています。
まず異邦人やサマリア人の町には行かず、イスラエルの失われた羊の所に行って、「天の国は近づいた」と宣べ伝えること。つまり12人が伝道する相手は、異邦人やサマリア人ではなく、同胞であるイスラエル人に限られています。
これを聞くと、「なんてケチ臭いことを言うのだろう」と思われるかも知れません。
15章で異邦人の女性から「娘の病気を治して欲しい」と頼まれた時も、イエス様は
「私は、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と言っています。それでも異邦人の娘の病気は癒されますし、8章でもローマの百人隊長の僕が癒されました。それなら、なぜイエス様はイスラエルにこだわるのでしょうか。これは、救いの順序を示していると思われます。
 大きな布を引っぱる時、一箇所をつかんで、布全体を引き寄せるように、多くの人たちを救うための最初のひとつかみ、それがイスラエルです。まずイスラエルをつかんで、それを手がかり足がかりにして、人間全体を引き寄せようとするのです。
 実際マタイ福音書の最後、復活されたイエス様は「すべての民を私の弟子にしなさい」と、あらゆる垣根を取っ払って、伝道に出かけるよう、弟子達に命じています。そして弟子達は、世界中に出かけて行きます。だから世界中に教会が生まれました。でも今は、イスラエルだけなのです。イスラエルの失われた羊の所だけなのです。
 いつ、どこで、どのようにして伝道するのか。それを決めるのはイエス様です。弟子達ではありません。彼らはイエス様の使徒であり使者です。だからイエス様が命じている所に出かけて行って、イエス様が命じた通りに伝道します。決して自分たちの熱意や功名心で伝道するのではありません。これは、私達も同じです。
 私達は今、御殿場の地に遣わされています。あっちもこっちも、世界中が伝道の場所なのに、だけど私達が今、イエス様から遣わされている場所は、ここなのです。ここで御言に養われて、ここで伝道するよう、私達はイエス様に命じられています。私達が今、ここにいるのは、私達の意志をはるかに超えたイエス様のご意志です。
すべての民をイエス様の弟子とするために、ここもまたイエス様から託されている大切な伝道の場所です。ここで私達が果たすべきことを果たさずに、よそ見をして浮き足立つことは、イエス様の弟子として、ふさわしくありません。
 弟子達は「天の国が近づいた」と宣べ伝えると共に、与えられた権能で病人を癒すなどの奇跡を行います。そしてその際「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」とイエス様に命じられています。
どんなに頑張っても、罪ある人間にとって遠い存在である天の国。しかし天の国そのものであるイエス様が罪人の所に来られたことで、天の国もまた、罪人の所に来ています。イエス様がこの世に天の国を持ち込んでくださったのです。そのことを目に見える形で表わすために、弟子達は奇跡を行う権能を、ただで受けました。
「ただで受けた」。直訳しますと「贈り物として受けた」と言うことです。病人を清めて癒す力、悪霊を追い出す力、死者を生き返らす力、そして天の国が近づいたと宣べ伝える力。これらの力は、すべて自分が努力して手に入れたものではなくて、イエス様からの「もらいもの、贈り物」です。しかも、自分が独り占めするために受けた贈り物ではなくて、他の人に渡すために受け取った贈り物です。
受けた権能で商売をして、お金や名誉を得ることも出来たでしょう。でも受けた権能を自分の利益を得るための道具にすることは許されません。ここでも弟子達は「贈り物の持ち主」ではなくて、あくまでも「贈り物を持ち運ぶための使者」として働くよう命じられています。
 弟子達が伝道に出かける時の格好ですが、何日の旅になるのか分からないのに、財布代わりの帯の中にお金は一切入れていかないこと、持ち物を入れる袋や着替えの下着、履物、杖も持っていかないことが、命じられています。お金も下着もない。今と違って、物騒な所があちこちにあるのに、身を守るための杖も、履物もない。完全に丸腰、裸同然です。こんな格好では3日と持たないと思ってしまいます。
 それだけではなく、信仰的にも弟子達は心配です。8章では嵐の船上で弟子達は大騒ぎをして、イエス様から「信仰の薄い者達よ」と言われたばかりです。そんな信仰の薄い弟子達が、裸同然の姿のまま、大きな権能を与えられて、ちゃんと伝道できるのか。「初めてのおつかい」と言うTV番組がありましたが、小さな子どもに大金だけを持たせて送り出すような、危なっかしい気がします。
 ここで私達は、伝道に送り出された12人を通して「伝道に必要な備えは何か」を改めて考えさせられます。伝道は人間の業ではなくて、イエス様に命じられた神の御業です。食糧もお金も必要ですが、しかし伝道に最も必要なのは、イエス様が与えてくださる「神の備え」です。
弟子達も私達も、伝道するにはあまりに未熟です。しかし自分たちの能力で伝道するのではないし、自分たちが用意する備えや蓄えを当てにして、伝道するのでもありません。弟子達も私達も、イエス様が注ぎ込んでくださる神の備えによって、伝道するのです。裸同然の弟子達でしたが、伝道に必要な備えは、イエス様にいただいていました。宣べ伝える力と奇跡の力をいただいていました。私達もそうです。礼拝の中で、伝道に必要な信仰と言葉と力を、イエス様から毎週いただいています。
 伝道と言われると、「あれがない、これがない。あれが出来ない。これが出来ない」と尻込みします。しかし伝道は、完全な装備や蓄えがそろってから始める、と言うものでもありません。裸同然の弟子達のように、イエス様に命じられるままに伝道すれば良いのです。「あれも出来る。これも出来る」と自信を持って伝道するより、むしろカラッポの器の方がいい。すなおでカラッポな器は、イエス様から注がれる備えを、喜んで受け取ります。自分のものさしや自分の都合、損得勘定、功名心、余分なものがなくなり、カラッポにされた器には、神の備えがタップリ入ります。
 必要な備えは、イエス様がその時々にふさわしく与えてくださいます。その時々にイエス様が許して、私達に手渡してくださる神の備えで伝道すれば良いのです。
そして今すべての信仰者が取り戻さなくてはならないのは、神の備えに対する絶対的な信頼です。
 今月の「信徒の友」でレーマン先生の記事を見ました。先生はアメリカの宣教師で、若い時から日本伝道で大変ご苦労された先生です。でもその先生が神学校の礼拝で「伝道者は楽だ。神が助けてくださるから楽だ」と言われたのを良く覚えています。言葉も習慣も違う日本での伝道が楽だったはずがありません。なのに「神が助けてくださるから楽だ」と言える。神の備えに委ねきった信頼に満ちた言葉です。 
伝道する者自身が、神の備えに信頼しないで、神を信じていると、どうして人に言えるでしょうか。伝道は神の御業です。神が備えてくださらないはずがない。
 弟子達は旅先で、彼らを迎え入れてくれた家に留まって伝道するよう命じられています。彼らを迎え入れた家とは、彼らの言葉を聞いて受け入れた家のことです。そしてその家には、「平和があるように」と言う弟子達の祝福の挨拶も留まります。
しかし彼らを受け入れない家も多くあります。その時、弟子達を拒んだように、平和の祝福もその家に入ることが出来ず、祝福はそのまま弟子達に返って来ます。
そして弟子達はさらに宣べ伝えるために、次の地に向かうことが許されています。
それだけではありません。弟子達を拒んだ家や町を出る時、足の埃を払い落として
立ち去ります。弟子達は語るべき言葉は語ったのですから、それを拒んだ人たちが終わりの日の審きで滅びるとしても、その全責任は彼らにあると言う宣言です。
 イエス様は「失われた羊のところへ行け」と言われました。失われた羊とは、飼いい主である神から離れて、愛されること、愛することを失って、生きながら死んでいる人たちのことです。弟子達は彼らのところに行って福音を語りますが、頑なに拒まれれば、足の埃を払って立ち去るしかありません。
 しかしイエス様は9章の最後で、飼い主のいない羊のような群集を、はらわたが引き裂かれる思いで見ておられました。そのイエス様は終わりの日の滅びの凄さもご存知です。だからこそイエス様だけは立ち去りません。頑なに福音を拒み続ける
失われた羊から、足の埃を払って見捨てられる羊から、イエス様は立ち去りません。イエス様だけは立ち去らないで、終わりの日まで、彼らの心の戸を叩き続けます。
 「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか」。これはイエス様の十字架の叫びです。ご自身もまた見捨てられた者、足の埃を払われる身となりながら、尚もイエス様は、終わりの日まで、頑なな羊たちの戸口に立ち続けます。
誰よりも先に失われた羊の所に行っているのは、イエス様です。そしてすべての人が立ち去っても立ち去らないで、終わりの日まで、失われた羊の心の戸を叩き続けるのも、イエス様です。「すべての民を私の弟子とせよ」と命じたイエス様は、誰のこともあきらめません。このイエス様が、伝道する私達への神の備えです。誰のこともあきらめないイエス様をしっかり受け取って、出かけて行きましょう。

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