日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

何とかして救うためです

説教

タイトル:「何とかして救うためです
聖書  : 1コリント9:19-23
年月日 : 2012-1-1
特記事項 :新年礼拝

        
「私は自由な者だ」。これは、コリント教会の中で叫ばれていたスローガンです。
「信仰者になって救われたから、この世からは自由になっている。霊的な自由な者に
なっている。我々は何をしても自由だ」。その挙句、勝手気ままにふるまう人たちに
よって、コリント教会は混乱していました。
するとパウロは、コリント教会のスローガンを使って「私は誰に対しても自由な
者ですが、すべての人の奴隷になりました」と、思いがけない言葉を返しています。
「キリストを信じる者はすべての罪を赦されて、神様の子供、神様の家族とされる。
洗礼を受けて、神様の名前が書き込まれ、神様のものとなった信仰者を縛りつける
力を、この世は持っていない。死でさえも、信仰者を縛りつけることは出来ない。
だから信仰者は自由。神様以外のものから自由にされている」。その通りです。
パウロも自由な信仰者の1人です。しかしこの世のどんな権力、どんなしがらみ
にも縛られない自由さで、彼は「すべての人の奴隷となる」ことを、選びました。
信仰者の自由を、「すべての人の奴隷になる」ために、彼は献げました。なぜなら、
「できるだけ多くの人を得るためです」。これは、パウロが「人を自分のものにする」
と言うことではありません。「できるだけ多くの人が、主イエス・キリストを信じて、
神様の救いに導かれるようにする」ということです。
私達を造ってくださった父なる神様は、私達1人1人を深く愛しておられます。
キリストが言われたとおり、「小さな者が1人でも滅びることは、あなたがたの天の
父の御心ではありません」(マタイ18:14)。
でも「滅びる」とは、地震や津波、病気や事故で、命を失うことではありません。
電源からコンセントを引き抜くように、私達を愛してくださる神様から離れること、
神様の愛と命から離れてしまうこと。神様に愛されている喜びを知ろうとしないで、
愛すること、永遠の命に入るのを拒むこと。これが「滅びる」ということです。
それゆえ小さな者が1人も、神様から離れて滅びることがないよう、キリストは
神様と私達を一つに結び合わせる命綱となって、天から降り、世に来られました。
キリストは、神様からすべての人に差し出されている「天からの命綱」です。
そして天からの命綱で、神様の愛と命に自分自身が結ばれたことを知ったから、
パウロは「キリストと言う天からの命綱」を出来るだけ多くの人に宣べ伝えずには
いられません。キリストによって、神様と一つに結ばれる「福音・良き知らせ」を
宣べ伝えずにはいられません。そのためならパウロは何でもします。信仰によって
与えられた自由で、パウロはどこにでも行って、誰にでも福音を宣べ伝えます。
「あなたの前に天からの命綱が降ろされていますよ。あなたの前にある天からの
命綱・キリストをどうか信じて受け取ってください。キリストを通して神様の愛
命に固く結ばれてください。あなたが救われることが、神様の喜びなのだから」。
この福音を伝えるために、パウロは、ユダヤ人、異邦人、弱い人、すべての人に
自由に対応しながら、どんなことでも耐え忍んで働く奴隷となりました。
「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。
律法に支配されている人に対しては、私自身はそうではないのですが、律法に
支配されている人のようになりました」。(20節)
ユダヤ人は昔から律法を守ることで、救われようとして来ました。しかし人には
律法を守る力がないので、律法では救われません。人を救えるのは、天からの命綱・
キリストだけです。キリストだけが、神様から遠く離れた人を、神様と一つに結び
合わせることが出来る救い主です。
パウロはユダヤ人ですが、キリストによる救いを受け取り、もはや律法には支配
されていません。でもパウロはユダヤ人が救われるため、律法にこだわる彼らと、
あえて同じ立場に立ちます。そして律法に支配されたままの彼らの不安や苦しみを
共にしながら、彼らの不安と苦しみの中でキリストによる救い・福音を、忍耐強く
響かせ、伝えていきます。
またパウロは、律法も聖書も知らない異邦人とも、同じ立場に立ちます。彼らを
救うために、彼らと同じ状況の中でゼロからスタートして、福音を伝えて行きます。
そして「弱い人」と言うのは、病気で心や体が弱い人と言うだけでなく、信仰が
未熟で弱い人のことでもあります。信仰者と言っても、信仰の足並みは人それぞれ
です。「常に右肩上がりで、順調」と言うわけには行きません。信仰が弱くなって、
途切れてしまうなど、生涯、信仰者であり続けることは、当たり前ではありません。
でもパウロは信仰が弱い人、信仰の灯火が消えかかっている人を切り捨てないで、
みずから弱い信仰者の1人となりました。そして彼らの弱さ、迷い、頑なさに寄り
添いながら、彼らの中で、「彼らに伝わる言葉で、福音を語ります」。彼らの弱さ、
迷い、頑なさを自由に担いながら、すべてをキリストに委ねる新たな信仰の一歩を、
彼らと一緒になって踏み出します。
「彼らに伝わる言葉で福音を語る」で、思い出したのは「ケセン語訳聖書」です。
外国の聖書ではなく、大震災の被災地、岩手県気仙沼の方言で訳された聖書です。
標準語ではなく、気仙沼の人たちが日常生活で使っている方言で書かれています。
しかも日本人に分かり易く、聖書の登場人物の身分や出身にあわせて、言葉使いも
変えています。例えば、偉そうなファリサイ派は庶民を「あなた」とは言わずに、
上から目線で「そのほう」と呼びます。気仙沼の人たちだけでなく、聖書に初めて
触れる日本人や、聖書に親しんでいる人にも、物語の臨場感が伝わってくる楽しい
翻訳になっています。
「ケセン語訳聖書」のように、私達も、教会で受け取った福音の言葉を、家族や
友人、職場の人、まわりの人たちに伝わる言葉にそれぞれが翻訳して、相手の
立場に立って「天からの命綱・キリストの大切さ」を伝えることが出来るのでは
ないでしょうか。
教会で受け取った福音を、自分の中にしまいこまないで、体中に鳴り響かせる。
そしてその響きが自分の体を通して、家族やまわりの人たちに自然に伝わっていく
ようにすることが、今年、私達に求められている務めなのではないでしょうか。
22節「すべての人に対して、すべてのものになりました」。
人はそれぞれ性格や状況が異なります。でも茶碗、コップ、やかん、洗面器など、
器の違いに合わせて、水は自由に形を変えながら、それぞれの器を満たして、なお
水であるように、パウロも1人1人の異なる状況の中に、体ごと自由に形を変えて
入りこんで、1人1人と同じ形になります。そして1人1人の中で、奴隷となって
仕えながら、1人1人に伝わる言葉で福音を語ります。
「何とかして何人かでも救うためです」。「何とかして」の直訳は「すべての点で」と
言うことです。信仰によって与えられた自由を使って、パウロはすべての人の奴隷
となります。祈り、相手に合わせて形を変え、ありとあらゆる手を尽くして福音を
語ります。そこまでしても、報われるわけではなく、彼は拒まれ、迫害されます。
相手と同じになって福音を語っても、大勢、信仰者が与えられるわけではなくて、
多くは徒労に終る。しかし何人かでも救うために、相手と同じになるのです。
「何とかして何人かでも救うために、相手と同じになる」ことが、難しいのは、
自分の苦手な人を思い浮かべれば分かります。人には、傷つきたくない防衛本能が
あります。でもパウロは、無防備に相手の中に入って、相手と同じ者になります。
そして「福音のためなら、(何とかして何人でも救うためなら、)私はどんなことでも
します」と言い切ります。なぜパウロは、そこまでするのか。
キリストが私達を救うために、何でもしてくださったこと、ご自分の自由を使い
果たして、私達と同じ者になってくださったことを、パウロは知ったからです。
キリストは自由な神様の御子にもかかわらず、私達と同じ者、生身の体をもった
幼子となって、この世に誕生されました。そればかりか、罪人と同じ者となって、
十字架上で死に、すべての人の罪の償いとなってくださいました。このキリストの
自由な低さ、貧しさ、自由な奉仕の前に、パウロの働きなど問題になりません。
キリストこそが、何とかして私達を救うために、どんなことでもしてください
ました。これが神様の愛の自由さです。「自分の利益を求めない」愛の自由さ。
自分を忘れて無防備に私達を愛してくださる自由さ、これがキリストです。
無防備にすべての人を愛して、傷だらけで息絶えた姿が、十字架のキリストです。
このキリストに愛されている喜びを知った時から、パウロはキリストのためなら、
どんなことでもします。キリストの愛に応えて、喜んで働く奴隷になります。「福音」
と言う言葉を、「キリスト」に言い換えると、パウロの思いがハッキリしてきます。
22節「キリストのためなら、私はどんなことでもします。
それは、私がキリストに共にあずかる者となるためです」。
「共にあずかる」の語源は「交わり」です。キリストの愛に応え、キリストを伝えて
働く中で、キリストとの愛の交わりが深められるのを、パウロは体験しています。
この恵みをすべての信仰者、すべての教会が味わうよう、今、呼びかけられています。
「何とかして何人かでも救うためです」。キリストとの愛が深められる恵みの中で、
喜んでキリストを伝え、自由自在に働く者にされるよう、祈りをあわせましょう。

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