日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

今や、その時である

説教

タイトル :「今や、その時である」 
聖書   : ヨハネ5:19-30
年月日  : 2016-6-5
特記事項 :

本日の箇所は前の論争、つまり「イエス様がご自分を神様と等しい者とされたこと」を引き継いでいます。このことは神様への冒涜としてユダヤ人たちが、イエス様を殺そうと狙うきっかけとなっています。しかし怯むことなくイエス様は「父は子を愛して、すべてを示してくださるから、子は父のやっていることを見てその通りにしているだけだ」と反論します。
父とは、父なる神様であり、子は、御子イエス様のことです。そしてイエス様の言われる通り、御子イエス様は、父なる神様の本質、御心、御業を、何一つ歪めることなく、そのまま世に現わすことができる唯一人のお方です。それ故イエス様は「神様と等しい」と言えます。でもそれはイエス様が「神様と等しい力で、神様と張り合うライバル」と言うことではありません。むしろその逆です。
聖書の小見出しは「御子の権威」となっていますが、イエス様が持っておられる「父なる神様に等しい御子の権威」とは「父なる神様に、どこまでも徹底的に従うことができる権威」、「強制や隷属ではなく、神様を愛して信頼し、神様と1つになっているからこそ、十字架の死に至るまで、神様のご計画通り、神様の御心の通りに自由に仕えて、自由に服従できる権威」。これが御子イエス様の権威です。
苛酷で壮絶な権威です。私達にはとってもマネ出来ません。御子イエス様しか、受け取ることができない権威です。そしてイエス様が父なる神様から託されている具体的な権威が2つ、21節以下で紹介されています。まず一つ目。
「父が死者を復活させて、命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える」(21節)
父なる神様は、十字架で死んだ御子イエス様を、永遠の命と体と共に、死人の中から復活させました。すると神様はイエス様に「死者に復活の命と体を与える権威」を託されました。そして次に神様が、イエス様に託された二つ目の権威。
「父は誰も裁かず、審きは一切、子に任せておられる」(22節)
これは終わりの日に行われる審きの権威です。具体的な権威としてイエス様は、「永遠の命を与える権威」と「審きの権威」を、神様から託されています。
神様が御子イエス様に、このような権威を与えたのは、「すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父も敬わない」と23節で言っています。
私達は神様を直接、見て、聴いて、知ることが出来ません。でも御子イエス様は、父なる神様を私達が生きているこの世に、歴史の中に、正しく現わすことができる唯一人のお方であり、また神様の権威を託されている「神様と等しいお方」です。 
そして神様は、イエス様を通して、否、イエス様だけを通して、「神様と人との交わりの実現」を求めておられます。イエス様だけが、神様と人をつないで保つ「唯一の仲保者・仲介者」です。神様が認める「仲保者・仲介者」はイエス様だけで、どんな超能力者が出て来たとしても、イエス様に代わることは決してできません。
そのため「神様と等しいお方・御子イエス様」を敬い信じることは、イエス様が表しておられる父なる神様をも敬い信じることにつながります。でもその反対に、御子イエス様を敬わず、拒むならば、イエス様が示された父なる神様をも敬わず、拒むことになってしまいます。
ここで「神様とイエス様の一体性」が強調されています。「神様とイエス様の一体性」は、私達の命に関わる重要な事柄です。しかし残念なことに、ユダヤ人たちは、このことを理解しようとしませんでした。理解するどころか、神様を父と呼ぶイエス様を「神様の冒涜者」と憎んで、十字架の死へと追いやります。そんなユダヤ人たち向かってイエス様は、次のように宣言しておられます。
「はっきり言っておく。私の言葉を聴いて、私をお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また裁かれることなく、死から命へと移っている。はっきり言っておく。死んだ者が、神の子の声を聴く時が来る。今や、その時である。その声を聴いた者は生きる」(24-25節)
「私の言葉を聴いて」と言っています。「聴く」とは、聞き流すことではなくて、「聞き従う、同意する、悟る」ことです。そこで24-25節のイエス様の言葉を分かり易く言い換えると、次のようになります。
「これは本当のことだ。私の言葉に聞き従うことで、父なる神様を信じた人は、終わりの日を待たずに、永遠の命を受け取っている。また何一つ裁かれることなく、『死ぬべき存在から、永遠の命の存在』へと移されてしまっている。そしてこれも本当のことだ。死んだ人が、御子の声を時が来る。まさに今がその時だ。御子の声に聞き従った人は、永遠の命を受け取って、生き続ける」。
「本来、終わりの日に起きる神様の救いの出来事が、イエス様の言葉に聞き従うことで、今、始まってる」と言うイエス様の宣言は、ユダヤ人でなくても驚く大胆な言葉です。しかし「はっきり言っておく」つまり「これは本当のことだ」と2度もくり返しているように、イエス様は、ウソ偽りのない神様の救いの真実を、ここで語っているのです。
なぜなら「父は、ご自分の内に命を持っておられるように、子にも、自分の内に命を持つようにしてくださったから。また審きを行う権能を、子にお与えになっている」からです(26節)。御子イエス様の中に、父なる神様と同じ永遠の命が満ちており、また父なる神様の厳粛な審きの権能が、御子イエス様の中にもあります。父なる神様が御子イエス様に、すべての権威を授けておられるからです。そしてこの揺るがない神様の真実と共に、御子イエス様はユダヤ人に、また私達に向かって言われます。
「あなたは今、私に聞き従い、私と共に生きていくか」。
私達は何と答えるでしょう。「でもさぁ・・・、だってさぁ・・・」と言い訳するのが、私達の本音ではないでしょうか。「昔は聞き従っていた」とか「仕事が忙しいから、もっとヒマになったら聞き従うよ」というのではない。昨日までは不信仰だったとしても、「今、イエス様に聞き従って生きるかどうか」が問われています。信仰は常に「今」です。常に「今の信仰」が問われ、そして「今」こそが、自分の生と死を分ける信仰の勝負の時なのです。
「裁く」と言う言葉の元々の意味は、「分ける」です。まさに今、御子イエス様の言葉に聞き従うか否かで、永遠の命を受けるか否か。永遠の生か死か。はっきり分けられてしまう。二股はかけられません。
こう問いかけるイエス様は、私達をいじめているのではなく、神様のご意志のままに行っているだけです(30節)。では、神様が私達をいじめているのか。そんなことはありません。神様は愛です。愛だからこそ、神様の目には、生きているとは見えない人、生きながら死んでいる人を、神様は放っておけないのです。
バリバリ稼いでいても、面白おかしく生活していても、それだけでは神様の目に「生きている」と映らない。あるいは自分でも薄々、気がついているかも知れません。「生きている実感がない」と。人は神様の愛と赦し、神様の命がなければ、神様を受け入れなければ、本当に生きているとは言えず、その人は「死んでいます」。健康診断で「問題なし」でも、神様から離れているなら、その人は死んでいます。
放蕩息子の例えで、無一文で帰って来た息子を、父親は大喜びで迎え祝いました。そして父親は「この息子は死んでいたのに、生き返った」と言いました(ルカ15:24)。この父親は神様のことであり、放蕩息子は神様に背を向けている私達のことです。
父親から遠く離れて、好き勝手に大金を使っていた時、放蕩息子は息をして心臓も動いて生きていました。でもその時の息子は、父親から見たら、死んでいました。
しかし父親の懐に戻ってきた時、死んでいた息子は、ようやく生き返ったのです。
神様は私達を愛しているから、私達が生きることを心から願っています。しかも神様の愛と赦しと命の中で生きることを心から願っています。だから終わりの日を待たず、イエス様を通して、今、ご自分の愛と赦しと命を私達に注ごうとします。そのために必要な権威を、神様はイエス様に授けておられます。そしてイエス様は、神様の御心を忠実に果たすために、権威を持って、私達に問いかけます。
「今、私に聞き従い、私と共に生きるか」。これに「アーメン」と応答する人に、「神様の愛と赦しと永遠の命」そのものであるイエス様が、宿り、入り込みます。病気や高齢のために、寝たきりで何も出来なくても、その人の中にイエス様がいてくださるなら、神様の目には「本当に生きている人、すこやかで、若々しい人」と映ります。イエス様が宿っているなら、世間が「この人はダメだよ」と見限っても、神様はその人に「あなたは充分、役立って生きている」と言われます。イエス様に聞き従い、イエス様を宿している人は、地上にいながらも、終わりの日の救いを先取りしており、その人の中で「永遠の命で生きること」が既に始まっています。
「死んだ者(生きながらも死んでいる人も含め)が、神の子の声を聴く時が来る。
今や、その時である。その声を聴いた者は生きる」。
私達を「死から命」へ移すことが出来るイエス様の声を今、礼拝でリアルに聴き、イエス様を信じ受け入れる時、たとえヨタヨタで死にかけていても、神様は私達に「あなたは本当に生きている。あなたは元気で、美しい」と言ってくださいます。
「私達が本当に生きることを、心から願ってくださる」神様の御心が、実現する時が来ています。イエス様の言葉を聞き、イエス様を心から敬い、礼拝している今が、その時です。イエス様の言葉に聞き従い、父なる神様につながりながら、一瞬、一瞬の「永遠の今」を生きて行きましょう。

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