日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

主人から預かった財産

説教

タイトル :「主人から預かった財産
聖書   : マタイ25:14-30
年月日  :2014-2-2
前回の例え話と同じく、ここも天の国についてイエス様が語られた例え話です。
天の国の例え話は、終わりの日にどんなことが起こるのかを、私達に教えています。
 主人が旅に出る際、僕たちに自分の財産をそれぞれの力に応じて分けて預けます。
1人に5タラントン、もう1人に2タラントン、最後の1人に1タラントンです。
そして主人が旅に出ると、5タラントン預かった僕はそれで商売をして倍にします。
2タラントン預かった僕も、同じように倍にして増やします。しかし1タラントン
預かった僕だけは、土に穴を掘って、その中に預かった財産を埋めて、隠します。
 長い月日がたって主人が旅から戻ってくると、僕たちと財産の清算を始めます。
そこで5タラントン預かっていた僕は、それを倍に増やしたことを報告して、主人
から「忠実な良い僕だ。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理
させよう。主人と一緒に喜んでくれ」とほめられます。2タラントン預かっていた
僕も、財産を倍に増やしたことを報告して、同じように主人からほめられています。
 しかし最後の僕だけは、預かった1タラントンを土の中から掘り出すと、主人に
それを見せて言っています。
「あなたは蒔かない所から刈り取って、ちらさない所からかき集められる厳しい
方だと知っていましたので、恐ろしくなり、あなたのタラントンを地の中に隠して
おきました」。つまり恐ろしい主人に責められないようにしていたと言うことです。
 すると主人はこの僕のことを「怠け者の悪い僕だ」としかりつけ、「私が蒔かない
所から刈り取り、ちらさない所からかき集めることを知っていたのか」と、怒りに
燃えて、この僕に告げました。
「それなら私の金を銀行に預けておけばよかった。そうすれば利息がついたのに。
この僕から1タラントンを取り上げて、10タラントン持っている僕に更に与えよ。
そしてこの僕を外の暗闇に追い出せ」。
 例え話のあらすじは以上です。1タラントン預かった僕は主人の財産を他の僕の
ように増やすことはしませんでしたが、盗まれたり、なくしたりしないよう、土の
中に埋めて、ちゃんと管理していたわけで、別に悪いことをしたとは思えません。
それなのに主人はなぜこの僕のことを「怠け者の悪い僕だ」と言ったのでしょう。
この例え話を通して、イエス様が私達に伝えたいこととは何でしょうか。
 この例え話は、来週の教会学校の礼拝でも説教されます。先月、そのためにこの
箇所について教会学校の教師会で検討がされました。説教をする教師が発表して、
改めて驚いたことがありました。最後の僕が預かった1タラントンですが、私達は
これを少ない金額だと思い込んでいました。でも1タラントンは約20年分の賃金に
相当する金額だということを知りました。年収300万円だとしたら6千万円です。
力に応じて、主人は最後の僕に1タラントンを預けましたが、実は私が見たことも
触ったこともない大金を、僕は預かっていたのです。そこで気づかされたことは、
主人の大胆さです。こんな大金を、簡単に僕たちに預けてしまう主人の大胆さ。
でもこれは言い換えると主人が僕たちに期待しており、僕たちに希望を託して
いるということでもあります。例え話の主人とは、神様であり、僕たちは私達です。
僕たちのように、私達も神様から様々な財産を預かっています。ある人は優れた
運動能力、ある人はおいしい料理を作る才能、ある人は音楽の才能、またある人は
いるだけで周りの人を楽しくさせる才能。私達は実に様々な財産を、神様から預か
っています。そしてそれらは皆、神様が私達に期待して、私達に希望を託して
預けてくださった財産だと言うことです。このことはコリント書にも書かれてい
ます。
 「賜物には色々ありますが、それをお与えになるのは、同じ霊です。務めには色々
ありますが、それをお与えになるのは、同じ主です。働きには色々ありますが、
すべての場合にすべてのことをなさるのは、同じ神です」(1コリント12:4-6)
 私達が神様から預かっている財産とは、コリント書が言うところの唯一の神様が
与えてくださっている色々な「賜物」であり、「務め」であり、「働き」です。
賜物は神様からの恵みですが、恵みの賜物を受けた人は、それにふさわしい務め
や働きを、神様に期待されています。従って神様から財産を預かっている私達は、
「預かった財産にふさわしい応答をすることを、神様から期待されている」
のであり、また「神様は決して悪意ではなく、希望をもって、私達1人1人に
大切な財産を託してくださっている」ということです。
 そこで私達、否、すべての人が神様から預かっている財産ですが、様々な違いは
ありますが、一言で言うと「命の時間」のことではないでしょうか。しかもそれは、
コリント書が証言するように、「唯一の神様、同じ主、同じ霊」から与えられたもの
です。それ故すべての人が神様から預かっている「命の時間」には聖霊によって
「イエス様が共にいてくださいます」。キリスト者であろうとなかろうとすべて
の人が「イエス様が共にいてくださる命の時間」、つまり「イエス様の愛と
赦しが備わっている命の時間」を、神様から託され、預かっているのです。
 自分がいかに貴重な財産を神様から預かっているか。そのことに気づいて、日常
生活を送っている人は少ないでしょう。多くの人が1タラントンを土の中に埋めて
過ごした僕のように、せっかく「イエス様が共にいてくださる限りある命の時間」を
生かそうともせずに毎日を過ごしています。自分の命の時間には、イエス様による
愛する恵み、赦しの恵みがつまっていることに気づかず、それを使うことも豊かに
増やすこともせず、イエス様を土の中に埋めたまま、命の時間を過ごしています。
 先程、洗礼が行われて、主キリストの体につながれた新しい人が誕生しました。
ここにも既に洗礼を受けておられる方々が大勢います。イエス様を救い主と信じて
洗礼を受け、信仰者になった人たちは、「イエス様が共にいるから、自分の人生は、
イエス様の愛と赦しで満たされた貴重な命の時間だ」と、気がついた人たちです。
そして信仰者はすべての人と同じ「命の時間」に加えて「信仰の命の時間」も
上乗せして、神様から預かっています。それは「ただ生きるだけの時間」ではない。 
「イエス様を知って、イエス様との交わりを更に深めるために生かされてい
く命の時間。イエス様の愛と赦しを思いっきり使って生きて行く時間」です。
 僕たちの預かった財産の金額がそれぞれ違っていたように、「信仰の命の時間」は、
洗礼を受けた時の年齢によって「長い短い」があります。若い時に洗礼を受けて、
「信仰の命の時間」が長い人もいれば、人生の後半に入ってから、洗礼を受けて、
「信仰の命の時間」としては短い人もいます。しかし1タラントンが決して少ない
金額ではなかったように、この世の信仰生活の時間は短くても、神様が預けてくだ
さった「信仰の命の時間」には、底なしの深さと天井なしの高さがあります。
 「信仰の命の時間」が、たとえ1年でも、イエス様との交わりを毎日、とことん
追い求めて生きてみる。イエス様の愛と赦し、死を超えた命の希望の中に素っ裸に
なって、飛び込んで生きてみる。「信仰者なのに、なぜこんな目に遭うのか、こんな
災難に遭うのか」。理解できない納得できない逆境にあっても、それでもなおイエス
様から目を離さず、イエス様にひたすら信頼して、イエス様との交わりの中、否、
イエス様の体の中に、ますます深くもぐりこんで、生き抜いてみる。そうす
れば、たとえ1年であっても「信仰の命の時間」は10倍、100倍、1000倍、それ
以上豊かに成長します。そしてたった1年でも、終わりの日に神様は「忠実な良い
僕だ」と言ってくださり、神様との天の祝宴に喜んで座らせてくださいます。
 今日1人の姉妹が洗礼を受けて、新たに「信仰の命の時間」を神様から預かり、
イエス様ご自身と永遠に結ばれました。でもイエス様との交わりをますます豊かに
成長させていくことにチャレンジしないで、土に埋めてしまうなら、終わりの日に
神様から「怠け者の悪い僕だ」と、しかられます。誰も、そうあってはなりません。
 今日の例え話は「金儲けをしろ」ということではなく、神様が与えてくださった
「イエス様との交わりの時間を本気で生きないと、失ってしまうから気をつけろ」
と言うことです。その反対にイエス様との交わりは、求めれば求めるほど豊か
に与えられます。「求めなさい。そうすれば与えられる」とイエス様が言ったよう
に「私達がイエス様との交わりを追い求めること」を、神様ご自身が望み、
願い、期待しておられます。それゆえ神様はこうして私達を礼拝に招き、説教を
通してイエス様との交わりを与えて、更に聖餐式のパンと杯を通して、イエス様の
お体と血潮の交わりにもあずからせてくださいます。私達に対する神様の大いなる
期待に応えて、まだ体験したことのないイエス様との交わりの更なる深みを
求めて、イエス様と共に日々、沖へ沖へと大胆に、こぎ出して行きましょう。

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