日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

主は肉体をとって、人となり

説教

タイトル:「主は肉体をとって、人となり
聖書  : ガラテヤ4:1-7
年月日 : 2011-12-4
特記事項 :ニカイア信条講解

        
半年ぶりにニカイア信条をとりあげて、御言に聞きましょう。
ニカイヤ信条は、使徒信条と同様、すべてのキリスト教会の土台となる、最も基本的な信仰告白です。
お手元のニカイア信条をご覧ください。前回は「主イエス・キリストが、私達の唯一
の主であること、父なる神様と同質であって、神様の独り子、真の神様だ」と言う
ことを、ご一緒に確認し、この信仰を告白しました。
今回は、アドヴェントの時期にふさわしく「主は、私達人間のため、また私達の
救いのために天より降り、聖霊によって、おとめマリアより、肉体をとって、人と
なり」、この箇所を取り上げます。
 神様の独り子イエス様は、父なる神様と共に天におられたのですが、「私達人間の
ため、私達の救いのために天から降って」来られました。そのことをガラテヤ書は
「時が満ちると、神はその御子を女から、しかも律法のもとに生まれた者として、
お遣わしになりました」(4節)と証言しています。
 旧約聖書は、救い主が来られることを予告していますが、でもそれがいつなのか
分からないまま、人々は救い主を待ち続けました。じれったい話ですが、時を決め、
時を与えるのは神様です。人が時を決め、時を操作できる、支配できると思うのは、
大いなる勘違いです。神様は私達人間の救いのために、最も良い時を用意してくだ
さいました。そして人ではなくて、ご自分の御子を救い主として、天からこの世に
送ってくださいました。なんと神様の御子が、天から、この世で生きている一人の
おとめの中に、降って来られたのです。
 マタイ、ルカ福音書の誕生物語が語っているように、人によらず、聖霊によって
御子は、おとめマリアに宿りました。救いの時を決めるのは神様ですが、おとめに
神様の御子を宿らせるのも、神様です。私達人間に救いをもたらすのは、人の力
ではなくて、神様の力です。救いの主導権は、すべて神様にあります。
 神様の御子は、聖霊によって、おとめマリアより「肉体をとって、人となり」、誕生
したと、ニカイア信条は告白しています。だから御子の体はスーパーマンのように
暑さ寒さ痛みも感じない、傷もつかない鋼鉄の体ではありません。御子は、私達と
同じ肉体で生まれ、私達と同じように人に世話をしてもらって、食べたり飲んだり、
泣いたり笑ったりして、2000年前のナザレの村で育ちました。
ガラテヤ書は御子を「しかも律法のもとに生まれた者」と、つけくわえています。
当時のユダヤ人は皆、細かい律法に看視され、律法に支配される息苦しさの中で、
日々、生活をしていました。でも律法を完全に守ることなど、誰にも出来ません。
そのため人々は、常に「律法を守れない負い目」を背負うことになります。
形こそ違いますが、私達にも覚えがあります。育児のこと、家族の介護のこと、
仕事のこと、人間関係のこと、将来設計のこと。「ああしたい、こうしよう」と思い
願いながら、しかし思う通りには出来ない負い目。出来なかった負い目。今さら、
取り返しのつかない負い目。満足できない負い目。目に見えない負い目が、知らず
知らずのうちに、人の心と体を不自由な金縛り状態にして、傷つけています。
ガラテヤ書が念押ししている「律法のもとに生まれた」と言うのは、「御子が姿形
だけ私達と同じになったのではなくて、色々な負い目、不自由な金縛りの中で
ジタバタ生きている私達の1人として、生まれてくださった」と言うことです。
 神様の御子が、栄光の天の御座を捨てて、わざわざ朽ちる肉体をとり、不自由で
不器用に生きている私達の一人となってくださいました。
 まさに神様の御子が、ご自分を捨てて、「あなた」になったのです。
年をとったあなた。病気で寝込んでいるあなた。家族や仕事で悩んでいるあなた。
苦しみ、悲しみ、痛みを抱えているあなた。厄介で、ガンコなあなた。自分勝手で
約束を守れないあなた。すぐ神様を忘れて、神様に背を向けてしまうあなた。
「それでも私は、あなたになる。自分を捨てて、私はあなたになる」と、御子が
一人一人に向かって言ってくださるのです。御子が肉体をとって人になる。神様が
人になる。「受肉(じゅにく)する」とは、そういうことです。
恋人同士の時は良かったけど、結婚して一緒に生活してみると、「こんなはずじゃ
なかった」と気づきます。東日本の被災地の様子を、私達は報道などで知りますが、
それと、被災地の人と現地で復興を目指し共に生きることは、同じではありません。 
「共に生きる」ことは、しんどくて、忍耐がいる。苦労が絶えないし、面倒くさい。
それなのに、他でもない神様の御子が、あなたの中に住んで、あなたと共に生きて
くださる。御子は、あなたから逃げ出さないし、あなたを見捨てません。あなたの
負い目、あなたの苦労、あなたのすべてを丸ごと引き受けて、あなたに寄り添い、
あなたの立場に立ちます。御子は、「あなたそのもの」になってくださいます。
 これは愛です。だから神様が人になる受肉は、愛です。神様からあなたへの
熱烈な愛です。
そしてあなたを愛しているから、御子は1人1人の中で休みなく働き続けます。
5節「律法の支配下にある者を贖い出して、私達を神の子となさるため」です。
 御子は、人を金縛りにしている負い目を引き受けて、ご自分の死と共に葬ります。
そしてすべての負い目から救い出した人を、「神の子」にします。5節の「神の子」は
養子縁組を意味しています。
本来、「神の子」と呼ばれるのは、神様の独り子イエス・キリストただお1人だけ
です。でも「神の子」であり、神の国の「相続人」の特権を独り占めにしないで、
御子は1人1人を、神様と養子縁組させてくださいます。十字架の上で養子縁組の
手続きをすべて完了させて、1人1人を何にも縛られない自由な神様の子どもたち、
ご自分の兄弟姉妹にしてくださるのです。
天から降り、受肉して1人1人の中に住み、共に生きてくださる御子は、私達に
向かって、このように宣言してくださいます。
 「あなたの負い目は全部、私が十字架の死と共に片付けました。だからあなたは
自由です。そして神様との養子縁組の手続きも、私が十字架の上で済ませました。
だからあなたは自由な神様の子どもたちです。あなたは神様の家族の一員です。」
 ここで私達は、神様が人になる「受肉」の意味を、改めて知ることになります。
天にいる神様のままでは死ねないのです。私達と同じ人として死ぬために、御子は
天より降り、朽ちる肉体をとり、受肉して、人となってくださったのです。
 御子は聖霊によって、おとめマリアより肉体をとって、人となり、誕生しました。
生まれたばかりの幼子を、マリアとヨセフ、羊飼いたちが囲んでいるクリスマスの
おだやかで、美しい場面を思い出します。
でも飼い葉桶で眠る幼子は、私達を神様と養子縁組させるため、私達人間の救い
のために、生まれたのです。十字架で死んでくださるために、生まれたのです。
飼い葉桶の幼子は死ぬために、肉体をとって人となり、生まれてくださったのです。
このことに目覚める時、うれしいだけ、楽しいだけのクリスマスでは済みません。
私達は、受肉してくださった幼子にひれ伏します。
私達を神様の子供たちとするために、人となって生まれてくださった神様の
御子を、心から拝み、感謝します。
そしてこの救いの恵みをはるか昔から用意して、私達に与えてくださった神様を、
「アッバ、父よ」と呼びかけて、心の底から礼拝し、讃美します。
「アッバ、父よ」。こう呼びかけて、御子は、神様に祈っていました。ユダヤ人が
使うヘブライ語の「アッバ」と、異邦人が使うギリシャ語の「父よ」(パテール)が、
一つになっている神様への呼びかけは、すべての神様の子どもたちにとって、意味
深いものです。天から降り、受肉して人となられた御子の死によって、神様と養子
縁組された世界中の人が、分け隔てなく、天に同じ父をもつ1つの家族となって、
いつでも、どこでも「アッバ、父よ」と、神様に親しく呼びかけることが赦されて
います。世界中の人たちを、神様の家族として結ぶのは、受肉して、人となられた
御子イエス・キリストです。「あなた」そのものとなられる、御子キリストです。
 今は御子の誕生を待ち望むアドヴェントの季節です。そしてクリスマスに御子を
お迎えします。どこに?私達1人1人の中です。自分の中に御子をお迎えします。
マリアが胎内に御子をお迎えしたのが聖霊の力だったように、私達が御子をお迎え
するのも、自分の決意や意志ではなく、聖霊の力です。聖霊の力が働く時、御子が
私の中に住んでくださいます。ご自分を捨て、御子が私になってくださいます。
そこに、もはや以前の私はいません。私の中にいるのは、御子キリストです。私の
中で生きているのは、神様の御子キリストです。その時、私達は代々の信仰者たち
と一緒になって、パウロのように、喜んで告白します。
「生きているのは、もはや私ではありません。
キリストが私の内に生きておられるのです」(ガラテヤ2:20)

powered by Quick Homepage Maker 4.27
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional