日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

主は敵を愛す

説教

タイトル :「主は敵を愛す
聖書   : マタイ5:43-48  
年月日  : 2017-12-24
特記事項 : クリスマス礼拝
「隣人(りんじん)を愛しなさい」と言うことは、イエス様が最初(さいしょ)に言い出したのではなくて、旧約聖書の中で言われています(レビ記19:18)。隣人愛の精神(せいしん)をイスラエルの人々は昔から受(う)け継(つ)いで来ました。その一方で、異邦人(いほうじん)は「真の神を知らない汚(けが)れた民」だから交際(こうさい)もしないし、異邦人との闘いは日常(にちじょう)茶飯事(さはんじ)でした。従って「隣人愛」はイスラエルの中でのことで、「異邦人」は対象外(たいしょうがい)で、憎(にく)むべき敵(てき)です。
 でもイエス様は「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われました。
「敵を愛せ」。聖書を開いたことがない人でも、どこかで1度は聞いたことがある言葉だと思います。でも良く知られている言葉でも、その通りに生活しているわけではない。と言うより「自分が憎んでいる相手なんか愛せないし、愛したくもない。敵を愛せなんて、そんなことはムリ」と私達はまずそう思ってしまいます。
 でも「敵を愛せ」の「敵」とは、「ただ単に自分が憎んでいる相手」や「私の敵」のことではありません。これは「神様の敵」のことです。神様の願い、導き、愛を、ことごとく裏切り、背を向けてきた「神様の敵」のことです。
 となると、これは他人事ではなくなります。神様の願いや愛を裏切り続けてきた私達のこと。すべての人のことです。すべての人が、まさしく「神様の敵」です。
神様が何より求めているのは「愛する」ことです。「互いに愛し合おう」と言うのは簡単ですが、私達は愛することに不器用であり、愛し合うことに不自由な者です。
神様の聖なる目から見たら、人は皆、誰でも「神様の敵」です。ですから根こそぎ、神様から滅ぼされても仕方がない。文句は言えない。
 「敵を愛せ」と言ったイエス様は神様の御子です。そのイエス様は敵と同じ姿となって生まれてくださいました。神様の敵が滅ぼされないため、敵を救うために敵の只中に生まれてくださいました。そして敵の只中に留まって、その中で最後まで敵を愛して生きてくださいました。その始まりが、クリスマスです。
 「神は愛です」と聖書が証言する通り(1ヨハネの手紙4:16)、神様の本質、神様の正体は、愛です。どこまでも限りなく愛し続ける愛。何の垣根も囲いも塀もなく、ひたすら愛し続ける愛。裏切られても、報われなくても、そんなことは全く構わず、すべてを尽くして愛しぬく愛。それが、私達を造り、世界を造った本物の神様です。
愛である神様によって、私達は造られたのです。だから神様の中、愛の中にいることで、私達は心も体もバラバラになることはなく、全身全霊が1つに結ばれて、調和が保てます。でもその反対に、神様から離れ、愛から離れてしまうと、つまり憎しみの中にいると、私達はたちまち心も体もチリヂリに分裂してしまい、収拾がつかなくなってしまいました。憎しみの中で、私達は壊れてしまいました。それは私達に限ったことではありません。
神様の愛から離れて、壊れている私達が毎日、関わっているこの世界も、私達と同じようにチリヂリに分裂して、互いに争い、憎みあい、収拾がつかなくなってしまいました。悲しいことに、イエス様が生まれたベツレヘムも例外ではなく、今、厳しい緊張状態に置かれています。愛の神様が造られたこの世界を私達が壊して、このようにしてしまいました。
だから今こそ、私達はクリスマスの意味を、本当に大事にしたい。クリスマスの意味を取り戻さなくてはならない。クリスマスの意味を身にしみて悟り、知って、生き直さなくてはならない。
イエス様が生まれる時、イエス様の母マリアの婚約者であり、イエス様の育ての親となったヨセフに、天使が夢の中で告げた言葉がありました。
「この子は、自分の民を罪から救う」(マタイ1:21)。
罪から救う。罪って何。神様から離れ、愛から離れてしまったこと。そのために
神様を忘れてしまっていること。神様のことは勿論、人を愛せなくなってしまったこと。他人だけでなくて、自分さえも愛せず、受け入れなくなってしまったこと。神様から離れて以来、自由に愛することが出来なくなってしまったこと。これが、罪です。そして罪人は神様の敵です。
だからイエス様は罪から私達を救い出すため、また私達が神様の敵ではなくなるようにと、天にある神様の御座を捨てて、無力な小さな幼子、私達と同じ肉の姿になって、この世に生まれてくださいました。「なぜめでたいクリスマスに罪の話なぞするんだ」と言う方もあるかもしれません。しかし自分の罪が分からなかったら、自分が神様の敵で、滅びるしかない存在だと実感できなかったら、イエス様の救いのありがたさ、喜びは分からないし実感できない。いつまで経ってもクリスマスは他人事で終わってしまう。それじゃあダメなんです。こんな私が、罪から救われるために、イエス様はこの世に生まれてくださったのです。誰も失われることがないために、イエス様は人の姿でこの世に生まれてくださったのです。
44-45節「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである」。
イエス様が言われたこの言葉は、この世に生まれたイエス様が、父なる神様から与えられていた使命、務めを表しています。
神様の敵を愛しぬき、自分を迫害する者の赦しのため、救いのために祈ったのは、イエス様でした。神様から離れて、愛することができずに、神様の敵となっているすべての人の罪が赦されるために、ご自分の命や御子としての栄光、すべてを注ぎ出してくださったのは、イエス様でした。
神様の敵を殺して、滅ぼすのではなくて、裏切られても、なおも敵を愛し続ける苦しみ、悲しみ、痛みを背負うため、そして十字架に向かう道を歩み通すために、イエス様は生まれてくださいました。
イエス様が果たしてくださったこれらのこと、すべては、私達1人1人を、神様の敵ではなく、天におられる父なる神様の子供とするためです。聖書が証言する通り、私達に完全な罪の赦しを与えて、私達を神様の敵ではなくて、イエス様と同じ神の子とするために、イエス様は生まれてくださいました。私達が神様の敵ではなくて、神様の神の子供として新しく生まれるために、イエス様はこの世に生まれてくださいました。
 そしてご自分の命も栄光も惜しまず、敵を愛して、敵が神の子となるよう祈り、働いてくださるイエス様が、私達の中に生まれてくださるのです。
 神様の敵をも愛して、最善を願って祈り、働くイエス様が、私達の中に生まれてくださるから、このイエス様が私達の中に生まれて、生きて働いていてくださるから、私達もイエス様の後に続いて、イエス様に従って生きることが出来ます。
 イエス様は神様の愛そのものであり、全能の父なる神様と等しいお方です。だからこそ神様の敵を、神様の子供に造り変え、育て上げる力が、イエス様には
あります。
私達の中にイエス様が生まれてくださったから、私達はイエス様に突き動かされ、イエス様に倣いつつ、敵を愛していけるようにされていきます。自分を迫害する者のために祈れるようにされていきます。私がそれをするのではない。私は出来ない。でも私の中にいる救い主イエス様が、私達の体、私達の生涯を使って、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れるように」させてくださるのです。
 イエス様は、神様の敵である私達の中に生まれることで、私達を神の子とします。その時、イエス様は、神様の敵を滅ぼし、神様の敵に勝利の勝どきをあげます。
 私達が、日毎、イエス様がお生まれるなる飼い葉桶とされることで、私達の中に、イエス様が宿ってくださり、神様の愛の勝利がこの世に一つ一つ現われていきます。
イエス様のお生まれと共に、神様に愛される奇跡、神様を愛する奇跡の中に私達も新しく生まれ、生かされていきます。イエス様が私達を訪れ、私達の中に生まれてくださる、この善き日を、心から喜び祝いましょう。

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