日本基督教団御殿場教会  United Church of Christ in Japan Gotenba church

キリストと結(むす)ばれる洗礼

説教

タイトル :「キリストと結(むす)ばれる洗礼」 
聖書   : ガラテヤ3:26-29
年月日  : 2020-8-2 
特記事項 : 子供との合同礼拝     
今月、子供の礼拝や教会のキャンプのテーマが「洗礼・・キリストと結ばれる」で
した(キャンプはコロナのため中止)。そこで今月は洗礼をテーマに、教会に来られて
間(ま)もない方にも分かりやすい説教をしていきます。
教会に行くようになっても、多くの方は洗礼を受けるまでに時間がかかります。
と言うのも、私達はこれまでは親(おや)たちの言う通り、あるいは世間体(せけんてい)を考(かんが)えながら、
また自分(じぶん)中心(ちゅうしん)に好(す)き勝手(かって)に生きてきた。それが洗礼を受けて、自分の人生(じんせい)の方向(ほうこう)が
大転換(だいてんかん)するのを不安に思うからです。それでは洗礼を受けると、人生はどのように
大転換するのでしょうか。ガラテヤ地域(ちいき)にあった教会の人たちに、キリストの使徒
パウロが言っています。26節。
「あなたがたは皆(みな)、信仰(しんこう)により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです」。
これまでは自分の人生をひっぱって来たのは、自分を含(ふく)めたこの世(よ)の力(ちから)でしたが、
イエス様を神様の御子、救い主・キリストと信じる信仰が与えられると、主イエス・
キリストに結ばれて、イエス様と同じ「神の子とされる方向(ほうこう)」へ、天に向かって、
ひっぱられて行きます。簡単(かんたん)に言うと26節は、そう言っているのです。
 教会に来ている方々(かたがた)の多(おお)くは、イエス様が、神様の御子(みこ)(子供)であると同時(どうじ)に、
「人となられて、この世に来られた救い主(キリスト・メシア)だ」と、信じて
います。そして「イエス様を、神様からの救い主・キリストと信じる信仰」が
与(あた)えられた方々は、神の子とされていると、聖書は言うのです。
ここに信仰者の方々がいますが、皆(みな)、普通(ふつう)の人で、神の子には見えません。でも
目に見えることより、目に見えないことの方(ほう)が確実(かくじつ)であり、本物(ほんもの)であり、強い力を
もっています。神様の出来事(できごと)が、まさにそうなのです。
 イエス様を「神様の御子であり、救い主」と信じる信仰は、勉強しても得(え)られる
ものではなく、ただ「神様からの贈物(おくりもの)、プレゼント」として与えられるものです。
そしてイエス様を信じて、イエス様に結ばれた人は、イエス様と同じ「神の子」と
されます。「結ばれた」と訳(やく)している言葉は「イエス様の中にいる、イエス様の
中に入っている」と言う意味です。そして「私達が、神様の御子であるイエス・
キリストの中に入る神様の奇跡(きせき)」が現実(げんじつ)に起(お)こるのが、「洗礼」なのです。
 礼拝で、前に出てきた人の頭(あたま)に、牧師(ぼくし)が水を注(そそ)ぎながら、「父(ちち)と子(こ)と聖霊(せいれい)の御名(みな)に
よって、あなたに洗礼を授(さず)ける」と言っていたのを、見たことがあると思います。
洗礼では、目に見えること以上(いじょう)に、すばらしい神様の出来事(できごと)、「キリストに
結ばれ、キリストの中に入れられた人が神の子に変えられる天の出来事」が
実際(じっさい)に起(お)きています。27節にその理由(りゆう)が書いてあります。
 「洗礼を受けて、キリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているから
です」。
27節を原文(げんぶん)にそって言い換(か)えますと、「なぜなら、キリストに向かって洗礼を
受けたあなたがたは、皆、キリストを着(き)ているからです」となります。洗礼を
受ける人は、どこか知らない方向に向かって行くのではありません。洗礼は必(かなら)ず
「キリストに向(む)かって、キリストの中へ、キリストと1つに結ばれるように」
行われます。
 もちろん洗礼を受けて「イエス・キリストを着せてもらった」とは言え、その人の
姿(すがた)が、光(ひか)り輝(かがや)いたりするわけではありません。でも目には見えなくても、洗礼を
受けた人は、全身(ぜんしん)にスッポリ「神様の御子イエス・キリスト」を着せていただ
いて、「新しい人・神の子」とされています。そして洗礼によって起きたこの
すばらしい神様の出来事は、何があっても、決して取(と)り消(け)されることはあり
ません。
 洗礼を受けた人は、「十字架でご自分のすべてを献げるほどの愛、限りない赦しの
豊(ゆた)かさ、とりなしの暖(あたた)かさ、復活の命(いのち)、神の子の聖(きよ)さ」をもつキリストを着せて
いただきます。神の子のDNAが満(み)ちるキリストご自身を着せていただくのです。
するとキリストを着せていただいた人の中で、いつの間にか神の子のDNAが活動(かつどう)を
始(はじ)めます。すると自分のDNAより、もっと強力なキリストのDNAにひっぱられ、
キリストが願う通りに、キリストに従(したが)って、その人は新しく生き始めます。それが
洗礼を受け、イエス・キリストを着た信仰者の姿なのです。
 自分では気がつかなくても、洗礼を受けたすべての人が、キリストを着ており、
キリストとつながっています。洗礼を受けたすべての人が、時も国(くに)も越(こ)える巨大(きょだい)な
キリストの体の中にスッポリ包(つつ)まれ、飲(の)みこまれ、覆(おお)い尽(つ)くされている。2000年前
のパウロやペトロたちとも、一つにされています。だから28節は言っています。
 「そこでは、もはやユダヤ人も、ギリシャ人もなく、奴隷(どれい)も、自由(じゆう)な身分(みぶん)の者も
なく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて1つだから
です」。
この世では国や民族(みんぞく)、身分(みぶん)や役割(やくわり)、男女の違(ちが)いの他、肌(はだ)の色(いろ)や所得(しょとく)、学歴(がくれき)、仕事(しごと)の
違いによる差別(さべつ)があり、世間(せけん)でひどい扱(あつか)いを受ける現実があります。しかしどんな
違いがあっても、洗礼を受けたすべての信仰者は皆、キリストを着た神の子です。 
だからキリストの中では、あらゆる違いを超(こ)えて、皆が一つにされています。
キリストに結ばれる洗礼を受けた人は、誰であれ、どんな違いがあろうと、
キリストの中で、お互(たが)いが大切(たいせつ)に組み合わされ、皆が一つにされています。
「私達の体内にある、すべての臓器(ぞうき)、血管(けっかん)、神経(しんけい)などが、体としての統一を保って
いるように」です。
 そこで私達自身(じしん)が、イエス・キリストから問(と)われています。「あなたはキリストと
結ばれた洗礼の真実(しんじつ)を見ていますか?あなたは信仰の目で洗礼を受けた自分自身を、
また隣人を見ていますか?」と。
 洗礼によって結ばれるイエス・キリストと私達。キリストと洗礼を受けたすべて
の人たちが時や場所、あらゆる違いを超えてつながっています。またキリストを
通して、すべての信仰者同士(どうし)が、時や場所、この世にいる者も、すでに天に
帰った者も、あらゆる違いを超えて、天と地も超えて、キリストを通して、
互いにつながっています。お互いが、キリストの1つの体として、しっかり
つながっています。
 洗礼によって、時代を越えた全世界(ぜんせかい)のすべての信仰者とキリストが、つながって
います。洗礼を受けたら、誰であろうとキリストと同じ神の子とされ、キリストの
兄弟(きょうだい)姉妹(しまい)とされ、キリストの中にある「永遠の命」と固く結び合わされます。
 洗礼を受けてから、私達はお互いに「キリストのもの」とされています。
だからキリストから、すべてのものが伝わって来ます。キリストの中にある
永遠(えいえん)の命(いのち)も忍耐(にんたい)強(つよ)い愛も、「キリストのもの」とされた、すべての人の中に
入ってきます。
 そこで29 節。「あなたがたはもしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、
アブラハムの子孫(しそん)であり、約束(やくそく)による相続人(そうぞくにん)です」。
 神様の御心(みこころ)にかなう「約束による相続人」とはキリストのことです。キリストは
神の国を受(う)け継(つ)ぎます。でも神様から一方的(いっぽうてき)に導(みちび)かれ、洗礼でキリストと結ばれ、
「キリストのもの」とされた私達も、キリストと共に「神の国の相続人」とされて
います。本当は何の権利(けんり)も資格(しかく)もないのだけど、信仰を与えられて、洗礼を受け、
「キリストのもの」とされただけで、私達はキリストと共に「神の国の相続人」と
されているのです。この世の相続は、いつか失われますが、「神の国」は永遠です。
でも洗礼でキリストと結ばれた私達は「永遠である神の国」を相続するのです。
なぜそこまでしてくださるのか。「洗礼を受けて、いつもキリストと共にいる
ように」と、神様が私達を造(つく)っておられたからです。だから洗礼を受けて、
キリストと結ばれ「キリストのもの、キリストの兄弟姉妹、神の子」とされる
ことで、私達はようやく人として生きられるようになり、人として落(お)ち着(つ)く
ことができるのです。
このあとで、私達が洗礼によってキリストに結ばれた神の子、神の国の相続人、
神様を「天の父よ、アッバ、父よ」と呼ぶことが赦(ゆる)されている神様の家族として、
共に「キリストを分かち合う」恵みの食卓(しょくたく)・聖餐(せいさん)を行います。聖餐のパンと杯
を受けることで、キリストご自身を受け取り、キリストに結ばれた者が、ますます
神の子として導(みちび)かれ、いかなる時でも愛をもって、喜(よろこ)んでキリストの後に従(したが)って
生きていくためです。
「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿(すがた)に似(に)た者にしようと、
あらかじめ、定(さだ)められました。それは、御子が多くの兄弟の中で、長子(ちょうし)と
なられるためです」(ローマ8:29)。

powered by Quick Homepage Maker 4.27
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional